伊藤氏メモ当寺の草創は文明期(1469-1486)で当初は天台宗に属していた。 その後荒廃していた寺を長瀬休覚法師が正保元年(1652)に本願寺の末寺として宗旨変え開基した。 休覚は高木瀬村大字長瀬の出身。参勤交代の街道筋にあたる長瀬町の町名設定に影響を及ぼしたという。
昭和8年(1933)、国道34号線の建設に伴い境内は縮小され、北向きの本堂は東向きに引き直された。(『佐賀百寺巡拝』より)()
伊藤氏メモ現在、照光寺の墓地の北側道路上に「刀匠近江屋敷址」の碑があるが、ここが肥前忠吉旧邸跡である。初代肥前忠吉は武蔵大掾忠吉といい、2代以降は佐々近江大掾に任じられ、御用鍛冶として佐賀藩に仕え幕末にいたった。(『佐賀県の歴史散歩』より)()
門前は、長崎街道である。
コンパクトな境内である。本堂脇にはしだれ桜と思しき大きな木が植えられている。
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