お寺めぐりの友看板

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匡王山(きょうおうざん)松陰寺(しょういんじ)☆☆☆曹洞宗

歴史

伊藤氏メモ神代(くましろ)1万石の菩提寺松陰寺は、西原天神山東の竹林に囲まれているが、元は鈴隈[1]南麓お霊屋下に在った。 『太宰管内志』によれば、この辺に太郎丸(泰郎丸の誤りか)という所があってそこに行基菩薩(?)が作ったという薬師尊像があった。 松陰大姉(鍋島勝茂[2]の娘で、神代5代邑主常利の妻。性空院のこと)は先祖菩提のため仏殿を建立し匡王山松陰寺と号した。 本尊は唐佛の釈迦とその弟子の三尊云々とある。

高伝寺(本庄町本庄)の絶学了意和尚は、 現在の佐賀市富士町で山伏の子として生まれ、出家して当寺松陰寺に入り、元禄9年(1696)佐賀藩3代藩主鍋島綱茂の命令で高伝寺19世住職となった。 了意和尚は、葉隠の口述者、山本常朝との交流が深く、葉隠の成立に大きな影響を与えたと考えられている。

明暦3年(1657)に来日した黄檗宗の即非如一(そくひにょいち)の筆による山門額が伝わる。(『久保泉町史跡等ガイドブック』「佐賀市/HP(佐賀市重要文化財)」より)()

ひとくちメモ

竹林に囲まれた寺は2018-11-04現在、無住で宗教活動をされていないようである。 参道、境内共かなり荒れている。

本堂前には枝ぶりの良いカエデの大木がみられる。

関連寺院


脚注

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