伊藤氏メモ文禄3年1594に菊池肥後守国重の裔によって開基。現第19世。門前のせせらぎに掛かった石橋を通って山門をくぐり境内に入っていくのは趣がある。西隣は、1400年以上の歴史を持つ道祖神社である。道祖神社に、次のような記載のある解説碑がある。()
元亀元年1570に鍋島信夫(藩祖直茂)が、今山に布陣した大友八郎親秀を夜襲した際、僅か17騎とともに夕方に城を出て、この辺りで本荘郷勝利(正里)集落の加勢を待ち鉄砲百余丁も加わり勢揃いして出陣し、大勝利を得たといわれる。この戦いは「肥前分け目」の戦いとして語り継がれている。
この地の町名・道祖元町の由来は、町並みの戌亥[1]の方に鎮座する道祖神社(通称:さやンかみさん)にあるといわれている。鍋島藩の旧城下町の一つとして今も「さやンもとまち」の愛称で呼ばれる。
伊藤氏メモ現在の本堂は明治16年1883に、当時の佐賀藩御用達であった伊丹文右衛門の一手建立によって寄進されたという。ただし、大興寺(佐賀市神野東)の記録に「明治初期に本堂をそっくり道祖元町の専修寺に売却した」とあり、当寺の本堂は大興寺のものを文右衛門が買い取り、移築したものと推察される。
文右衛門の長男・弥太郎は貴族院議員で、その別荘・九年庵(神埼市神埼町仁比山)は昭和58年1983に佐賀県に寄贈され、紅葉観光の名所となっている。(『佐賀百寺巡拝』より)()
未参拝の為、未稿。