表門脇の案内板の内容をそのまま記す。
高伝寺案内
当山は旧藩主鍋島家菩提寺で山号を恵日山といい曹洞禅宗。 開基は鍋島駿河守清房公(藩祖直茂の父君・剛意善金大居士)。
天文21年(1552)の創建。 境内総地積1万余坪。 本尊は、薬師如来。 仏殿西裏約6反歩にわたる龍造寺・鍋島両家の御墓所[1]に立ち並ぶ数百基に上る石灯籠、雄大な構築規模と結構な諸堂宇のたたずまいは、 往時の藩政時代の雄図をしのばせるに十分。
中世戦国時代から幕末期に於ける精神性は「武士道」に代表されるものであるが、 当山に象徴される龍造寺、鍋島両家の伝統に支えられた「葉隠」は武士道思想の白眉として知られている。
陽春四月に公開される「釈迦堂御開扉法要」はこのような肥前佐賀の歴史を彷彿とさせるものである。
同時に公開される、本邦最大を誇る大涅槃図[2](縦8間・15.2m,幅3間半6.2m)は3代綱茂公御寄進。
周囲は近代化されているが、高伝寺の寺域だけは年代物の建物・古木などがあり新旧の対比に驚く。
本堂(仏殿)裏手には、佐賀藩ゆかりの龍造寺・鍋島両家の広大な墓地がある。 なお、この墓地の境内は梅林となっている。 梅の時期にまたお参りに行こう。
伊藤氏メモ仏殿西裏の龍造寺・鍋島両家の墓所には、以下のような説明書きがある。()
この墓所は、明治4年(1871)に鍋島家当主・直大が各地に散在していた龍造寺家並びに鍋島家の墓を改葬してここに集め、整備したものである。
龍造寺家の墓塔10基が東側に、鍋島家の墓塔16基が西側に整然と並んでいる。 墓域は明るく広く独特の雰囲気と調和の美を表しており、一種の墓地公園の様である。 近世の墓塔の変遷や佐賀の近代史を研究する上からも資料的価値が高い。
墓所中央部の梅は霊徳寿梅と名付けられ、以下のような説明書きがある(佐賀市天然記念物)。
この梅は、佐賀藩藩祖鍋島直茂が晩年多布施(のちの宗智寺)に隠棲した際、玉林寺(現:佐賀市大和町久池井)の金峰和尚が贈った紅梅で、明治元年(1868)に高伝寺に移されてきたと伝えられている。樹齢約300~400年。
![]() | ◎久善院佐賀市本庄町本庄1093 |
![]() | ◎円通寺佐賀市東与賀町下古賀391 |
![]() | ◎大弘寺杵島郡白石町福富543 |
![]() | ◎妙音寺唐津市相知町相知1677 |
![]() | ◎宗智寺佐賀市多布施4-4-3 |
![]() | ◎岩松軒寺佐賀市木原1丁目12-10 |
![]() | ◎東光寺佐賀市本庄町本庄東寺小路868 |
![]() | ◎東善寺佐賀市鍋島町森田2030 |
![]() | ◎松林寺佐賀市嘉瀬町中原636 |
![]() | ◎松陰寺佐賀市久保泉町川久保3408 |
![]() | ◎桂秀院佐賀市久保田町久保田779 |
![]() | ◎梅林寺佐賀市本庄町西川内377 |
![]() | ◎楊柳寺佐賀市西与賀町厘外720 |
![]() | ◎秀林寺杵島郡白石町福田1644 |
![]() | ◎華蔵庵跡佐賀市大和町大字松瀬3051 |
![]() | ◎通天寺佐賀市大和町大字松瀬2142 |
![]() | ◎長勝寺佐賀市西与賀町厘外1281 |
![]() | ◎静元寺佐賀市本庄町本庄799 |
![]() | ◎龍水院佐賀市東与賀町下古賀484 |
![]() | ○瑠璃光寺山口市香山町7−1 |
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