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長谷山()観音寺跡(かんのんじあと)[円通観音禅寺・神代長良公の墓]曹洞宗

歴史

何時の時代に創建されたかは不明であるが、昔は天台宗の道場背振山の末寺で、長谷山の名は、和州長谷境に対比してつけられたという。文永元年(1246)に三瀬山内に来着した野田周防守清秀(三瀬氏の祖)が、杉大明神とこの寺を尊崇し、仏供糧を寄進して供養したので、周防守を開基としたこともあった。当時は杉神社の社務がこの寺の僧を兼ねたという。その後、神代家時代には、太陽山玉林寺の末山とされた。本尊は観世音菩薩で、僧春日の作といわれる。 三瀬城主、神代長良(くましろながよし)(1573-1581)はこの寺に葬られたという。

昭和38年(1963)、大雪の中、失火によって全焼し、そのすべてを失ってしまった。唯1つだけ[寛文7歳以丁未(1667)12月吉日に神代大和守武辺朝臣直長公銘入り寄進の半鐘]が村内宿の部落公民館に保存されているという。 焼失後、諸般の事情によって再建不能をもって中村・清流寺へ廃寺し合併されている。

三瀬街道沿いに参道口のある勝玉神社は「社号は観音禅寺住職大輪和尚の書になるという。」とある。(『三瀬村誌』(p724)より)

観音寺は杉神社・孫太郎観音堂脚気地蔵の祭祀も行っていたようだ。(『三瀬村誌』より)

参考:当寺の場所発見の経緯歴史検討メモを掲示する。

この寺は久しい間、尊像と御堂だけが残っていたのを、神代長良が再興、龍護院の住職であった海応和尚の中興開山と定めた。(三瀬村のパンフ)

ひとくちメモ

観音寺の参道口は脚気地蔵の参道の途中にある。 参道口より、登り坂の参道を100mほど進んだ所で、長いものの出現を恐れ、前進を断念。 冬場に再度参拝しようと思う。

当寺の場所発見の経緯

2022-09-10、観音寺の場所を探しに、福岡市より三瀬村に登る。 3回目のチャレンジ。

宿(しゅく)のバス停付近にある民家の庭先におられた初老の女性に尋ねると、お家の中からご主人と思しき方を呼んでくださった。ご主人と思しき方から場所を教えて頂いた。感謝感謝・ラッキー。

参道口と思しき所から坂道を登るが、参道両サイドは草木が繁茂。 長いものの出現を恐れ、前進を断念。

前出の初老の女性からは、宿公民館場所も教えて頂いた。 この公民館が上の歴史の項の[寛文7歳以丁未(1667)12月吉日に神代大和守武辺朝臣直長公銘入り寄進の半鐘]がある部落公民館の事だろう。 宿公民館は真新しい建物。扉は施錠されており、半鐘は確認できなかった。 区長さんが鍵をお持ちのようだが、あいにくお留守の由。

その後、三瀬街道のルートの踏査。たまたま、三瀬公民館の前を通ると扉が開いている。 単なる思いつきで中に入って見ると、小規模な図書館がある。 係員に観音寺関連の資料を探している旨、申し出ると、一緒になって探して下さり、観音寺の所在を示す地図・関連する資料を探して下さった。またまた感謝感謝。この地図と、上の前出のご主人のお話とで、観音寺の所在は、ほぼ確定できた。

当図書館には三瀬村に関わる資料(手書きも含む)が多数保管されている。

歴史検討メモ

作者の当寺関連の歴史の検討メモです。ご参考。

関連ページ(※歴史的に過去に関連していた神仏施設他も含めています。必ずしも現在関連しているとは限りません。)


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