お寺めぐりの友

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放光山()覺正寺(かくしょうじ)[覚正寺][未]浄土真宗本願寺派

歴史

伊藤氏メモ以下は、『大和町史』による。

開基は星野十三郎(法名は覺正)。十三郎の先祖は星野城主(八女市星野村)であったが、落城の後、佐賀に移り住んだ。十三郎は初代佐賀藩主鍋島勝茂に仕えた侍であった。十三郎が江戸で奉公していたとき、相撲取りと争い眼球を損傷した。のち、思うところあって家督を譲り、単身大阪に出て真宗寺の門に入り出家得度し、法名を覺正とした。慶長1596-1615の頃帰国して佐保川島郷(旧川上村)大願寺村五社境内の傍らに一宇の草庵を建て念仏三昧の日を送った。

慶長の末、第2世のとき、西山田村の氏神・貴船明神の霊告に「社地の左手に池あり、その辺りに寺を建て念仏をもって村民を済度すべし」とあり、西山田に小庵を建てて移った。元和年間1615-1624本堂・鐘楼等を建立。寛文2年1662本願寺より本尊・寺号を受けた。寺号は第1世覺正の法名をとり覺正寺と名付けた。

現在地に移転したのは第6世のときで年代は不明だが、その後宝暦4年1754の出火、文政11年1828の台風などあり建物や諸記録を焼失し由緒は詳かでない。

当寺は昔から眼病の家伝薬を伝えて有名であった。それは開基星野十三郎が江戸表で眼球を損傷したとき、大久保加賀守の家来より眼療秘法の皆伝を受けたことが代々伝えられたためである。藩祖直茂の眼病を直し、その後も佐賀藩主や小城藩主の眼病治療によって寺地を与えられている。()

ひとくちメモ

未参拝の為未稿。

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