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福聚山(ふくじゅさん)海蔵寺(かいぞうじ)[海蔵禅寺]☆☆☆曹洞宗

歴史

伊藤氏メモ本寺は龍雲寺(佐賀市八戸)の末寺である。 400年ほど前に現在地に創建。現第35世。 昔この付近には港があり、そこで働く人たちを対象に龍雲寺の支所のような役割を果たしていたらしい。 山門から西へ数十mほどの川沿いの道端に「今津湊渡し場跡」の石碑が立っている。 場所はこちらです。()

本庄江川沿いの今津湊渡し場跡の記事をページの下部に記す。 また、渡し場跡の少し下流には副島種臣ゆかりの地がある。

ひとくちメモ

伊藤氏メモ門前にある見上げるように高い鉄製タワーは、最近出来たNTTのアンテナ塔である。()

本堂をはじめ境内の石仏群はかなりの年歴を感じさせるものとなっている。 門前のお堂の祭壇は白い幕がかけられ(あるじ)は拝めなかった。

渡し場跡

石碑の脇の案内板の内容を下に記す。(段落は作者が挿入した)

江戸時代の末頃から船は本庄江を自由に上下して、高橋・厘外津・今津・相応津は河口として栄えた。

なかでも今津は早くから開けた商人の町として、銀行・郵便局・小学校分校などが立った。

渡船場は、右岸の有重と左岸の今津は高橋をまわって用をたっするという不便を感じていたので設けられた。 潮が満ちるとだんべい船に人と荷車をのせて岸につけ、潮がひいたあとは船を固定して、船から両岸にみち板をのせて常時とおしていた。

昭和38年(1963)に本庄江改修工事と同時に今重橋[1]が架橋され今津渡船場が廃止された。

西与賀町快適環境づくり協議会

渡し場跡には石仏が数体立っている。 渡し場に対岸には枝ぶりの良い松の木が立っている。

地元の古老の話によれば、対岸には徳善院の参道口があり、鳥居があったという。

渡し場跡周辺には作者が確認しただけで神社が3社、寺が3ケ寺ある。 往時の賑わいが感じられる町並みである。

少し下流には地元の方の利便性に配慮して架けられたと思われる立派なブルーに塗装された鉄橋がある。人しか通れません。

副島種臣ゆかりの地

渡し場跡より少し下った所の川沿いに、木製の碑が立っている。

案内板によれば、種臣(1828-1905)は佐賀藩士、枝吉忠左衛門の次男として生まれ、31才の時、親類の副島家に入婿する。 副島家は代々西与賀町今津江湖端に住み、種臣も青年時代、一時この地で過ごしたと伝えらているという。

関連寺社


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脚注

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