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石寶山() 法勝寺(ほうしょうじ) 臨済宗南禅寺派

歴史

伊藤氏メモ開山は京都法勝寺の執行俊寛圓光僧都。開基は平教盛又は源頼朝との伝。俊寛僧都の墓があることで知られる伝説の寺院である。

俊寛は、治承元年1177京都鹿ケ谷(ししがたに)法勝寺での平家打倒の陰謀が露見し、平判官康頼・丹羽少将成経らとともに捕われ鬼界ヶ島(薩摩国)に流された。

寺伝によると、翌2年康頼・成経の赦免が決まったとき、残された俊寛を哀れんだ伯父の平教盛が従者と談合し、嘉瀬町荻野(鹿瀬の庄)に上陸させ、当寺の開山とした。俊寛は治承4年1180に死亡したと伝わる。

『平家物語』では、赦された平康頼らが「鹿瀬の庄(嘉瀬町荻野)にぞ入り給ふ」とある。元々当地は平氏の領地であり、嘉瀬津は博多津・坊津と並ぶ古代九州の三代港といわれ、沖縄など南の島々をつなぎ中国大陸と結ぶ南島路の基地であった。

当寺住職は同じ嘉瀬町荻野の自得庵の住職が兼務している。(『佐賀百寺巡拝』より)()

口伝として同様に、俊寛の墓は、西日本各地に十数ヶ所存在しているようである。

門前は、長崎街道である。

ひとくちメモ

俊寛僧都の墓の案内板は、境内の西側の墓地の中に設置されている。 その周辺にある墓標のうちのどれかと思い探してみたが特定できなかった。 本堂はコンパクトな造りである。境内には笠部が欠落した六地蔵塔がみられる。

伊藤氏メモ小ぶりの本堂は平成9年の落慶。本堂前の広場部の中央には、以前は1本の巨木が立っていたという。()

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