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恵日山() 宝琳院(ほうりんいん) [寳琳院] 天台宗

歴史

Linksのページによれば、寺伝には和銅4年711行基菩薩の建立とされ、行基菩薩開山の墓石があるという。 龍造寺氏と縁の深い寺院のようである。

伊藤氏メモ龍造寺隆信は、享禄2年1529に水ヶ江城東館天神屋敷(現:佐賀市中館)の水ヶ江龍造寺家で周家(かねいえ)慶誾(けいぎん)夫人の間に生まれた。 幼名は長(千代)法師丸を名乗り、容貌雄偉、眼光炯々であったと伝えられる。 幼い頃より聡明で、「出家すると必ず仏道を悟り、九族天に生るるの果を得べし(祖先にまで魂が通じて大人物となる)」との教えから、 天文4年15357歳で家兼の三男豪覚和尚の寳琳院に入り出家、円月と号した。 しかし、天文14年1545の龍造寺一族存亡の危機という大混乱の中、「寳琳院の円月は、性格は優れて伸び伸びとした大志がある。今後、家を復興させるのは彼である。時機を見て還俗させよ」という曽祖父家兼の遺言により、17歳で還俗、 水ヶ江龍造寺家を継ぎ、胤信を名乗り、さらに天文17年1548には本家中村龍造寺家も併せて継承、19歳で名実ともに龍造寺一族の代表者となった。

だが、天文20年1551には、この若き当主に対する不信感から家臣土橋栄益(つちはしみつます)らの反逆が起こり、隆信は一時的に筑後へ退去した。 しかし、天文22年1553には再び佐嘉城を奪還、永禄2年1559には龍造寺一族の仇敵少弐氏を神埼の勢福寺城に滅ぼし、以後、肥前国内の攻略を進めることとなる。(『シリーズ藩物語・佐賀藩』より)()

ひとくちメモ

宝琳院は佐賀城跡の南側の住宅街にひっそりと伽藍を構えている。 境内には大楠があり、その下にはテーブルと椅子が設置されている。アットホームな感じのお寺である。

。長崎街道取材中に偶然宝琳院前を通り、お参りすることができた。 宝琳院参拝の後は佐賀城跡の見物はいかがですか?

伊藤氏メモ幼い頃の龍造寺隆信が育った場所かと想うと感慨深いものが湧いてくる地である。参道山門は北側からのアプローチになる。広い境内敷地であるが、他の方角からは入寺できないので要留意である。()

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