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福聚山() 本経寺(ほんきょうじ) 日蓮宗

歴史

Linksページによれば、寛永2年1625の開創。 開山は寿徳院日清上人。 観照院(佐賀市高木町)の末寺として栄えてきた。 昭和6年の火災により焼失。26世恵信院日仁上人が本堂・庫裡・山門薬師堂等の全境内建物の新築、墓地の整備等を達成。昭和48年、28世一雨院日彰上人による200坪の拡張、昭和54年薬師堂の改築等を経て現在に至っているという。

ひとくちメモ

門前の通りを北側に歩くと野中烏犀圓をはじめ白壁造りの歴史ある商家が散見できる。 境内にはキンモクセイをはじめ、きれいな花が咲いていた。 建物の中からは読経の声が聴こえてきました。

北隣には、「材木町」の名の由来の元となった日天神社が鎮座している。

伊藤氏メモ現第29世。本堂は開放されていて、いつでも自由にお参りできる。本堂前のツツジが綺麗である。()

日天神社

社殿脇には台座に「大悲王」と記された石仏をはじめ多数の石塔がみられる。 本経寺との関連は不詳。

社殿に掲示されていた日天神社の縁起を下に記す。

日天神社(にってんじんじゃ)

日天神社は俗称「テントウサン、お天道さん」、祭神は天照大御神で火災防御の神として信仰されてきました。

入口の「日天社」の額が掛かる鳥居はこの神社唯一の鳥居で、宝暦6年1756の銘があり、 境内中央奥に、享和3年1803建立の狛犬が護る入母屋造りの拝殿と流造の本殿が建立されています。

古文書に「約400年前、常陸国生まれの玄心上人が大日如来を深く信仰、 材木町に仮の宿を定め、3ヶ月間、浄化の天災転除を大日如来に祈願した。

天正元年15733月5日の結願の日、 上人は夢うつつのうちに一人の童子を見た。 大日如来が遣わした童子だと思った上人は捜すと、近くにつんであった材木の中から一体の仏像が見つかった。

この材木は内蔵という人が家を建てるため集めたもので仏像のことは全くしらなかった。 驚いた上人が内蔵と相談、この材木で日天神社を建て大日如来を祀った。

それ以来、この町を材木町と呼ぶようになり、地域の人たちはこの日天社を敬い、藩主も火災転除祈願のため、 地料を免除、毎年3月5日はお祭りをした。」とあります。

[作者メモ]神仏習合の趣きあり。本殿に今でも大日如来が祀られているかどうかは未確認。 祀られている天照大御神の本地仏は大日如来とされる場合があると聞く。


野中烏犀圓(のなかうさいえん)

ホームページはこちら。 それによれば、ここの漢方薬は家康も愛用したという。 二階部分に掛けられた看板は歴史を感じさせるものとなっている。


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