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宝海山() 願正寺(がんしょうじ) 浄土真宗本願寺派  FACEBOOK

歴史

門前は、長崎街道佐賀城下である。

佐賀県の歴史散歩』によれば、 関ヶ原の戦いで西軍に属した鍋島家は西軍敗戦後、鍋島家を保護してくれた西本願寺の准如の恩義に報いる為、建立。 開山は熊谷寿閑(くまがいじゅかん)

寛政12年1800、呉服町(晒橋の西北)に本陣が設置されるまでは、願正寺と称念寺は本陣として利用された。

鍋島勝茂は寺領400石を与え、佐賀領内の浄土真宗寺院をすべて西本願寺派にし、願正寺を法頭職(ほうずしき)とし領内の同宗寺院を支配させた。 本山の学林から毎年学僧を招き宗学講座を開講。 明治11年1878、この学寮は振風教校(しんぷうきょうこう)(旧制龍谷中学校の前身)に発展したという。

境内の案内板とLinksのページによれば、佐賀城本丸の時太鼓は、藩役人の出勤時刻を知らせていたが、願正寺の時鐘は元禄9年1696から佐賀城下の市民一般に時刻を報じていた。 この願正寺の鐘にヒビが生じたが、造り変える金もなかったので、 春日村の玉林寺の梵鐘を譲り受け高寺付近から時の鐘を鳴らしていた。 昭和3年19284月に廃止となったという。

伊藤氏メモ本堂内の右側部には、副島種臣の書が額縁に入れられ飾られている。 種臣は、文政11年1828佐賀藩士の家に生まれ、幕末から明治維新にかけて国事に奔走し、新政府の下で参議、外務卿、内務大臣等を歴任した。 号を蒼海又は一々学人といい、詩書に優れ、その書は創造力豊かで極めて格調の高いものとして評価されている。

明治16年18838月、最初の佐賀県議会が当寺で開催された。()

本堂両脇をはじめ境内にあるしだれ桜は、当寺創建400周年を記念して平成3年に門信徒・寺族より寄進されたもの。 九品桜(くぼんざくら)という(その名は『仏説観無量寿経』に由来する)。

ひとくちメモ

山門・鐘楼・本堂、いずれも当地区では最大規模と思われる。 山門の装飾がなかなか凝っている。

表参道は寺の南側にある。西側(称念寺側)には巨大な門柱があるが、ここが「表」とお間違いなきよう。 表参道口は長崎街道沿にあるにも関わらず、間口が狭い。 作者は危うく見逃すところであった。

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