お寺めぐりの友看板

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三宝山(さんぽうざん)圓蔵院(えんぞういん)[円蔵院]☆☆☆天台宗

歴史

江戸期以前の寺歴等の記録は全て消失したため、創建の年代は明らかではないが、本尊十一面観世音菩薩を修めた厨子の裏に寛文6年(1666)6月寄進の文字が残されていることで、この年以前の創建と推定できる。

当寺は元、天台宗玄清部の道場で、国主祈願所として、月日を定めてお城に罷出(まかりで)て国家の安泰、五穀豊饒を祈ることを勤めとしていた。 家中の武士をはじめ農工商家の帰依するものが多く、嘉永6年(1853)の檀那帳に名をつらねた者は506軒といわれる。

明治維新の波風は当寺にも吹き荒れ、国主の扶持も止み、加えて檀那方の参詣も遠ざかり、次第に衰退。堂宇の形もいつしか傾き記録なども失せ果ててしまった。 暴風雨により、建物はもとより一切のもの見る影もなく壊れた。

院主に縁があった西村覚流が多布施大島に移り住み、寺院再興を祈願し。その姿に打たれた覚流妻女[1]の遠縁にあたる小部儀兵衛氏が侍屋敷を買い寄進し、本尊を守護した。次の智覚の代に天台宗本寺院に昇格。 昭和30年(1955)現在の地に移転。荘厳具も整え、智良は智覚の後を受け継ぐ。檀信徒の家にもしげしげ足を運び回向、祈念に怠りなく信者も増え、新たに帰依者もでてきた。本堂伽藍は整ったが、庫裏の痛みがひどく、改築を思い立ち、信念と努力、その熱意が実り昭和53年(1978)10月めでたく落慶の運びとなった。(以上Links① より)

伊藤氏メモ現第4世の歴史。()

ひとくちメモ

伊藤氏メモ境内部には、天神地衹八百万大明神や地蔵菩薩の碑、他にも数体の恵比寿像が鎮座。()

本堂正面はブルーシートでふさがれている。修理中なのだろう。(記)

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脚注

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