伊藤氏メモ江戸期後半頃に創建の現第13世。 鍋島藩に関係のある寺院で元々は近在にあったが、2度の火災を起こし現在地に移転した経緯がある。山門脇には地蔵堂と不許葷酒入山門の碑などがあり、境内には稲荷明神の鳥居もある。 寺西側は佐賀特有のクリークである。住職の丁寧なご対応に深く感謝です。()
伊藤氏メモ境内には享保の大飢饉(1732)による犠牲者供養のための「本州庶民餓死者累葬之墓」がある。同寺では、明治初年まで毎年7月に犠牲者のための通夜勤行を行っていた。領内に喜捨袋を回すことが許され、「佛心寺の一合一銭」と言われていた。()
未参拝の為、未稿。
周辺の寺院・仏教施設の検索は当ページの上部の「4km範囲寺院」のボタンをご利用下さい。