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() 岡本薬師堂(おかもとやくしどう) 禅宗

歴史

Linksのページと『佐賀県の歴史散歩』によれば、 本尊は薬師如来。天文17年1548胎内銘を持つ坐像。 天文14年15452月に村内にあった彦島山宝蘊寺(ひこしまさんほううんじ)が焼失しその薬師仏も焼失。 それを再彫したもの。

境内には、鎌倉後期1300頃といわれる禅宗僧侶の無縫塔(むほうとう)(墓碑)がある。 県内では最古のものという。 参道口には一対の六地蔵塔がある。天文元年1532の紀年銘をもつという。

薬師堂内には「小城新四国第31番 本尊 文殊菩薩」の表示あり。

ひとくちメモ

薬師堂内には左右に祭壇が分かれている。 左手には本尊の薬師如来が納められている厨子が安置されている。 右手には弘法大師像・文殊菩薩像が安置されている。 薬師如来の安置されている金属製の厨子は施錠されており扉越しの参拝となった。

薬師堂の脇には1300年代造立という無縫塔が無造作に立っている。 無縫塔の両脇には石仏・石塔などがみられる。 このような貴重なものを雨ざらしにしておくのはなんとも忍びない。

参道口には体の六地蔵塔が立っている。 造立されて400年以上経過している為かなり傷んでいる。

薬師堂の西隣には八幡社が鎮座している。 当薬師堂とは何らかの関連があるものと思われるが子細不詳。

八幡社

鳥居の脇には、石祠・石塔群がみられる。 拝殿の中の板張りには囲炉裏(いろり)と思われるものがある。 最近火を燃やした痕跡もある。 木造の建物の中に囲炉裏!火事でも起こしたら?と余計な心配をしてしまう。 大変めずらしいものである。 神事に使うものか、はたまた氏子の皆さんの酒盛りに使うのか興味津々である。


境内の案内板(薬師如来像の説明)

岡本薬師堂の薬師如来坐像種別:三日月町重要文化財(彫刻) 名称:木造薬師如来坐像1躯

ここに祀られている薬師如来は、像高71.5cmの等身の坐像である。 肉髻(にっけい)(頭頂の隆起)の頂部を欠いており元来は現状より高かったものと思われる。 (ひのき)材による寄木造で内刳り(うちぐり)が施され、目には水晶がはめ込まれて玉眼(ぎょくがん)となっている。 両手を腹前で重ね、その上に薬壺をのせていたものであるが、薬壺そのものは失われている。

胎内には長文の墨書銘が記されていて、歴史的価値を高らしめている。 それによれば天文14年1545の戦禍によって焼失した彦島山宝薀禅寺の仏像再造を住持禀貞が発願し、 千葉胤頼と領内の僧俗男女等の助力を得て脇侍の日光・月光菩薩及び十二神将とともに天文17年1548に造られたものである。 本尊と日光・月光菩薩は芳円春覚、十二神将は玄泉なる仏師の作と記されている。 宝薀禅寺はいつの頃にか廃寺となって日月両菩薩像と十二神将像も現存せず、往時を偲ばせるのはこの薬師如来坐像のみである。

本像は室町後期の在銘の仏像彫刻として、また銘文を通じての歴史資料としてその価値が高く評価されるものである。

三日月町教育委員会

境内の案内板(無縫塔の説明)

無縫塔(むほうとう)三日月町重要文化財 平成15年7月7日指定

無縫塔は鎌倉時代に禅宗の僧侶によって中国から伝わったとされています。 初めのうちは禅僧の墓碑として建てられていましたが、後に宗派を問わず一般僧侶の墓として広く分布していきました。

岡本無縫塔は須弥壇式(しゅみだんしき)無縫塔と呼ばれる複雑な塔形であり、 造塔年代は1300年代と推定されています。 佐賀県内において最古級の無縫塔で、造立した人物については、当時にあってこのような立派な石塔を建塔できるのは限られた有力者であることから、極めて高い僧位を持った禅僧であると思われます。

岡本無縫塔は古塔にもかかわらず、ほぼ造立当時の姿を今に遺す完全形の墓塔で、損傷もなく石像美術的にたいへん貴重であるばかりか、地域の歴史を探るうえからも貴重な文化遺産です。

平成16年8月 三日月町教育委員会

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