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三間山() 円通寺(えんつうじ) [圓通寺・円通禅寺・三間名山円通興国禅寺] 臨済宗南禅寺派

歴史6 phrases

境内の案内板の内容をそのまま記載する。

三間山円通寺

白雉(はくち)元年650に筑後三箇村の郡司三池氏の嫡子が氏寺としてこの寺を建て 三箇寺と称していた。 その後、三間寺と改め岩蔵寺の末寺となり天台宗に属した。 小城では最古の創建である。

岩蔵寺の若訥宏弁(じゃくとつこうべん)は当寺に移住し寛元4年1246、 宋から博多円覚寺に来朝した禅僧 蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)(大覚禅師)に師事し親交を重ねた。 弘安元年1278若訥はこの寺を禅寺とし、当時小城郡地頭であった千葉宗胤(むねたね)が援助し、 鎌倉の建長寺を模して七堂を構築した。 貞和6年1350に「三間名山円通興国禅寺」の称号を受け鎌倉の建長寺、京都の南禅寺と並ぶ日本三興国禅寺の一つとなった。 千葉氏の菩提寺でもある。 江戸時代にはその支配は佐賀西部一帯に及び塔頭(たっちゅう)31ヶ所、平寺74ヶ所が管下にあった。

興国禅寺となってからは毎年朝廷の勅使がここ円通寺に下向したとのことで勅使を迎えるための勅使門があった。 暴風雨で倒れ、現在は門に掲げられてあった「菊花紋章」が保管されている。 境内には蘭渓道隆、若訥宏弁の墓がある。

小城文化センター[1]の裏を通称「大門」というがこのあたりも円通寺の山門が建っていた。 境内地を示す石碑が残りまた、千葉宗胤夫妻の墓がある。

佐賀県重要文化財 木像持国天(じこくてん)多聞天(たもんてん)立像
仏像内の銘によれば鎌倉時代の名仏師湛幸(たんこう)によって永仁2年1294に製作されたものである。
小城市重要文化財 円通寺文書
蘭渓道隆から若訥宏弁にあてた書簡や千葉氏に関する書状が残されている。

平成21年3月 小城市教育委員会

ひとくちメモ4 phrases

門前には昔は円通寺の塔頭寺院であったと思われる同じ臨済宗南禅寺派のお寺(正伝院、天継院、明鏡院など)が伽藍を構えている。 その昔の寺域の広大さを感じる。

山門の真新しい門柱のすぐ後には、仁王像が安置されている小宇が2つ建っている。 残念ながら、仁王像は2体共かなり痛みが激しい。(下写真参照)

本堂前には池があり、その中に円形の島が浮かんでいる。 その島には石仏、石祠とともに中国風装束の人物像が多数立っている。 作者はその由来は知らないが、お寺にしては珍しい光景である。

円通寺が伽藍を構える小城市にはかなりの数の仏教寺院が存在する。 いちいち数えていないが、密度で言えば福岡市博多区の寺町に匹敵するものと思われる。 江戸期は小城鍋島藩の城下町として繁栄していた様子がうかがえる。 折を見て他の寺院もお参りしたいものである。

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