お寺めぐりの友

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道昌山(どうしょうざん) 永林寺(えいりんじ) [永林禅寺] [未] 曹洞宗

歴史

伊藤氏メモ芦刈の東部地区は、室町後期の永正年間1504-1520、松浦党の一族・鴨打美濃守秀が、小城の千葉氏に招かれ、中溝のここ永林寺と宝泉寺(芦刈町芦溝)に城(館)を築き、以来地頭として、千葉氏に次いで龍造寺氏、鍋島氏に仕えた。

一族の中でも美濃守の孫にあたる鴨打陸奥守胤忠は武勇優れ、永禄5年1562有馬氏と大村氏が攻め込んできたとき、胤忠は西芦刈の豪族徳島氏とともに龍造寺軍の先鋒として論功をあげた。

元亀元年1570豊後の大友氏が佐嘉城に攻め寄せた際、龍造寺軍の鍋島直茂は今山(現:佐賀市大和町)の敵陣に夜襲をかけ、胤忠も出陣、大友軍は敗走した。

その後、鍋島氏が肥前一円を領有することになり、初代藩主鍋島直茂の長子・元茂が小城支藩に封ぜられたが、その折、鴨打氏一族は、元茂の家臣として元和年間1615-1624小城に転居した。(寺内の「解説板」より)()

佐賀県の歴史散歩』によれば、 万治元年1658渓雲(けいうん)和尚が創建。 本尊は薬師如来。

中溝集落には、鴨打胤忠が天文5年1536に勧請した乙宮神社(おとみやじんじゃ)がある。 寺と乙宮神社一帯が鴨打氏の館跡で通称「芦刈城跡(別称:鴨打城跡)」といわれているという。 ここより約500m北東にある、宝泉寺の地が出城であったという(またその逆の説もある)。

ひとくちメモ

伊藤氏メモクリークをまたがる太鼓橋を渡って進むと、古い木造山門が立っている。()

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