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() 稲佐神社(いなさじんじゃ) [稲佐泰平寺跡] ★★ 真言宗

歴史6 phrases

石段登り口付近の案内板の内容を下に記す。

稲佐十六坊の跡

稲佐神社参道の石段両側には、かつて8坊ずつ16坊の真言宗寺院があった。 現存しているのは、玉泉坊観音院座主坊の3ケ寺のみである。

稲佐十六坊の創建については今から1200年の昔、平城天皇の大同2年807に弘法大師(空海)がこの肥前の地に足を運ばれたと伝えられている。 大師は天皇の勅許を(こうむ)り、元橫平山にあった1小社をこの地に移し鎮守大明神として崇め、 一山を総称して、稲佐泰平寺と名付けたという。 併せて百済の聖明王の子阿佐(あさ)太子がこの地に来たという伝承から、一緒に祀られている。

稲佐泰平寺は享保5年1720の火災でほとんど焼失したが、十六坊の近郊にあった宝珠院[1]の住職恵眼比丘(びく)が享保9年1724に復興したと伝えられている。 また、恵眼比丘が再建したといわれる講堂(通称 大師堂)が参道を登り詰めた左側の大徳坊跡に建っており、ここでは稲佐十六坊の寺院の僧侶が一同に集い講演説教や修行の場とし、弘法大師の祭典を行っていた。 当時の隆盛を偲ぶことはできないが、神仏習合時代から真言密教の道場として人々の家内安全と無病息災を祈願し、今なお密教の法灯を守り続けている。

白石町教育委員会
平成16年9月吉日

門前(一の鳥居の前)は長崎街道である。

ひとくちメモ2 phrases

山内全域、1200年の歴史を感じさせる霊域である。

石段は熊野磨崖仏の石段を彷彿するものである。 石段というより、岩がごろごろ並べられていると言ったほうが正しい。 作者はニの鳥居脇より社殿に向かって左手の車道を登り、神門と同じ高さの駐車場に到着。 念仏4号を置き、本殿→大楠→玉泉坊観音院座主坊大師堂の順に参拝。 座主坊以外は皆この石段の脇に参道口がある。 したがって、石段の登り降りの壮絶な参拝となった。 全て参拝が終わった頃は汗だくの上、腰がふらふらとなった。

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