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飯盛山(いいもりやま) 福泉寺(ふくせんじ) [福泉禅寺] ★★ 臨済宗東福寺派

歴史6 phrases

伊藤氏メモ以下は、当寺のパンフレットによる。

今から約1100年昔の寛平年間889-897に、初め真言密教の道場として創建された古刹で、稲佐山泰平寺(稲佐十六坊)と深い関係があった。

鎌倉時代に入って、文応元年1260に時の執権・北条時頼が、福泉寺に牛屋(白石町牛屋)の知行1000石を与え、自らこの寺の開基となり、鉄牛円心禅師[1](聖一国師の高弟)を開山として迎え禅宗に改宗、禅の修行道場として再興した。

往時の福泉寺は、七堂伽藍が揃い、参道の両側には2院10庵の塔頭寺院が並び、末寺も杵島・藤津両郡にわたり98か寺と記録されている。()

佐賀県の歴史散歩』によれば、 この寺に捨てられた娘が成長して、平安期の歌人和泉式部になったという伝説がある。 裏には鎌倉期に建立された彼女の供養塔がある。 また江戸中期の京の絵師祇園井特(ぎおんせいとく)作とされる幽霊の絵が残されているという。

ここより1kmほど北東に鎮座する稲佐神社には、 真言宗の寺坊(座主坊観音院玉泉坊)や天正13年1583造立の肥前鳥居が残されている。

ひとくちメモ5 phrases

伊藤氏メモ 和泉式部は、9歳のとき上洛して上東門院に仕え、歌人となった。あるとき故郷を思い出して詠んだ和歌「故郷に帰る衣の色朽ちて 錦の浦や杵島なるらむ」が今も当寺に残っている。本堂の前庭には和泉式部の歌碑が立ち、裏庭の茶室と池の間には供養塔がある。

[祇園井特作とされる幽霊の絵]は痛んでおり、普段は公開されていない。

当寺へは、車では舗装路を九十九折りに上がって行き容易にたどり着く。徒歩の場合は、石柱門から自然石を並べた苔むした石階段を 真っ直ぐ上がって行く。参道途中にある古く大きな山門ではかなりの年月を経た仁王像が見られる。奥まった山腹にある寺院で、まさに古の修行道場の地を彷彿させる。()

参道口は田野上の集落のはずれにある。そこより本堂まではずっと上り坂である。 舗装道路の参道を登る。途中、左手に石塔群がみられる。さらに登ると澄み切った大きな溜池が現れる。 その脇には開山鉄牛円心和尚ゆかりの「お天神さん」が鎮座。 さらに溜池の間の道を進むと山門がある。溜池の土手には菜の花が多数みられた。 そこからはごろごろ石の石段。200mはあろうか? 両サイドはスギの巨木が立ち並んでいる。この風景は稲佐神社の参道を彷彿するもの。 普通の石段の登り口に到着。その石段の途中に仁王門があり、さらに上れば本堂域である。 4月初旬にしては高温であったせいもあるが、汗だくとなる。

本堂の前後は手入れの行き届いた庭園となっている。 他に開山塔・地蔵堂・観音像などがみられる。 六地蔵塔も4基みられる。 境内全体はカエデ・スギ・クス・サクラ等の木々に包まれ静寂の世界となっている。(記)

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