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金剛勝山(こんごうしょうざん) 蓮厳院(れんごんいん) 真言宗御室派

歴史

伊藤氏メモ かつて、龍猛(りゅうみょう)菩薩が能古見庄(のごみしょう)の山上にある天然の岩窟に如来石という石があることを知り、麓に林庵を建立してその石を礼拝したという。延暦23年804弘法大師が入唐する前に、林庵で修行し蓮厳院と号した。

のち保安2年1121興教大師が再建した。さらに、保元3年1158後白河天皇が一国一伽藍の創建を発願し、当地には慶照上人を開基として金剛勝院が建立され、蓮厳院はその一院となった。壮大な寺院であったようである。永禄年間1558-1570大友宗麟の兵火で焼失し、蓮厳院のみが残った。現在、蓮厳院が建っているのは金堂の跡といわれる。()

伊藤氏メモ蓮厳院は、藁葺[1]の小堂と庫裏の小寺院にすぎないが、平安時代末期には、この地を中心として後白河院の勅願寺院の一つ金剛勝院の大伽藍があり、蓮厳院はこの金剛勝院の一支院であったと思われる。

金剛勝院については、江戸時代の『岩屋物語』に、その盛時の面影が伝えられている。 この一大寺院も戦国時代の兵火に遭い、ほとんど焼失してしまった。 そのなかにあって往時を偲ばせるものが、本堂に安置されている3体の仏像で、木造薬師如来坐像1体と木造阿弥陀如来坐像2体(いずれも国の重要文化財)である。3体とも定朝様の流れをくむ平安時代末期の作と推定されている。

蓮厳院の周辺には、馬場・杉の馬場・立馬場・坊中道・不動・金剛・禅籠・伽藍・堂ノ上・蓮池・学頭・八大竜王・浄願など金剛勝院にゆかりのあると思われる地名が数多くみられる。(『佐賀県の歴史散歩 』より)()

Links①のページによれば、当寺の奥之院岩屋山興法寺(岩屋観音)は新義真言宗の祖、覚鑁(かくばん)上人(興教大師)幼少の折の修行聖地であるという。 

門柱の脇に「雲谷等顔」の石碑がある。 その脇の案内板によれば雲谷等顔1547-1618は雲谷派の始祖でこの地で誕生した。 肥前国藤津郡の能古見城主、原豊後守直家の次男。画才を毛利輝元に見込まれ、雪舟の遺跡雲谷庵(山口市)を授かる。72才で山口県萩市で没したという。

ひとくちメモ

本堂に向かって左手に小堂2宇。身代わり不動1体が見られる。 本堂前にはよく手入れされた庭園がある。 本堂の前面の彫刻(梁・木鼻)は見応え十分。特に木鼻の獅子の赤い目は迫力満点である。

平安時代から続いた古刹。「本堂と庫裡は藁葺き屋根。庫裡は県内では少なくなったクド造り。」という情報をもって参拝したが、本堂・庫裡共改築されたようで瓦屋根となっていた。少し残念。 これも時代の流れ。お寺も進化中という事であろう。(記)

脚注

関連寺院

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