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()天山神社厳木町広瀬下社(てんざんじんじゃきゅうらぎまちひろせしもしゃ)[肥前國三之宮]☆☆☆神道

歴史

当社の起源については、天山神社上宮の歴史の項を参照のこと。

祭神:天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・宗像三女神(湍津姫命(たぎつひめのみこと)市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)田心姫命(たごりひめのみこと))

創建は大宝元年(701)。室町(1336-1573)末期、獅子ヶ岳城主鶴田越前守前は、当社を祈願所として尊敬し、社殿の修復造営は勿論、社領も寄進していたが藩政時代に入り、元和2年(1616)、寺沢氏の検地により全て没収された。(以上 境内の案内板(平成13年(2001)11月吉日 奉納 氏子一同)より)

ひとくちメモ

社殿は天山を背にして立っている。境内から天山は見えると思っていたが、実際、見えたとしても手前の山に隠れて山頂だけだと思われる。 参拝当日は天候が悪く、天山方面は雲で見え隠れする状態であった。

ちなみにGoogle Earthの「可視領域」の機能で計算すると、ここからは山頂を見ることが出来ないと出た。 東側の一の鳥居のある集落から僅かに見えるように計算された。またイタらぬ事をやってしまった。

社殿の裏手にも2宇の摂社・末社が鎮座。 社殿の左手には多くの石塔・石祠が祀られている。

一の鳥居は200mほど東側の集落の入り口付近にある、そこからニの鳥居・三の鳥居(肥前鳥居)と続く。 社殿の前に四の鳥居がある。 他に、境内東側にも1基、拝殿の右手にも1基ある。 ニの鳥居の銘については、当ページ下部に別途記事を書きます。

境内ではイチョウ・エノキ・タブノキ・スギなどの巨木がみられる。

三の鳥居の銘について

鳥居の両柱はニ本継。読み取れた銘を下に記す。

上記の1.から左手の柱の上部は天正十六年(1588)戊子二月□日に奉納され、 左手の柱の下部は、大正8年十月に取り替えられたことが推測できる。

問題は2.の右手の柱の上部である。「天正七八年」。かなり大きな字である。 このような表記方法は初見。「天正」の「天」は「大」かもしれない。 柱の材質は素人目だが、左の柱の上部と同じようだ。 これ以上の推測は素人の作者には無理。専門家の研究結果を待つこととする。

(ぬき)は島木・笠木・柱の上部とは材質が異なり、やはり後で取り替えられたもののようだ。

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