お寺めぐりの友

PC版

瑞鳳山() 近松寺(きんしょうじ) 臨済宗南禅寺派

歴史

近松寺のパンフレットの内容をそのまま引用する。

近松寺の歴史

本尊釋迦牟尼仏 臨済宗南禅寺派 瑞鳳山近松寺と称する。

創立は後二條天皇の乾元元年1302と伝えられる。 降りること約240年(天文年間1532-1555)岸岳城主波多三河守は、博多聖福寺湖心禅師の高徳を慕い、 当寺の堂宇を再建(唐津城中三ノ丸辺)し、禅師を開祖として迎える。 しかし天正2年1574の兵火にあいその後荒廃する。

慶長元年1596唐津領主及び長崎奉行の命を受けた寺澤公は、湖心禅師の高弟耳峰禅師の道学兼備なるを聞き、 外国通辞として招請するにおよび、 禅師の近松寺再興の意に順い、 同3年、現在の地に再建され、寺田100石・山林を寺産に充て、菩提寺として篤く帰依される。 しかし第2代堅高公の逝去により寺澤家断絶し当寺も一時荒廃する。 第4世遠室禅師は、徳川家光公に近松寺再興を懇願さる。よって100石の御朱印を賜り旧観に復する。

その後歴代城主は、当寺に帰依されるが中でも文政元年1818第6代藩主となられた小笠原公は、 寺田100石を寄進され、菩提寺として深く帰依される。

山門は、慶長3年、寺澤広高公により、名護屋城内の門を移築されたものという。

境内には近松門左衛門の遺骨が納められた墓碑がある。 伊藤氏メモ墓碑傍には、次のような説明書きがある。()

近松門左衛門1653-1725は、少年の頃、近松寺の4代遠室禅師について得度の後、京都に至り浄瑠璃作家となった。 享保9年1725大阪で死去。遺言により当寺に埋葬された。

ひとくちメモ

名護屋城から移築された山門を始め、見どころ満載のお寺である。 特に、松浦山聖観音堂に安置されている観音像は天平年間729-749行基の作と伝えられている。

参拝当日、本堂では、宗偏流唐津支部の流祖忌が開催されており、境内には和服姿の善男善女が多数参集されておられた。 和服姿の女性とお寺。なかなか調和のとれた風景を楽しめました。

伊藤氏メモ本堂左手奥にある小笠原記念館は、旧藩主小笠原家の家宝や、歴代唐津藩主の記念文化財を保管しかつ展観する一方、日本の文運推進に貢献した唐津郷土の諸先覚を顕彰するために建設されたものである(入館無料)。()

関連寺院

Top