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補陀山()観音寺(かんのんじ)[観音禅寺]★☆☆曹洞宗

歴史

『鎮西町史』によれば、以下の通りである。

文禄2年(1593)、影玉庭銀厘元(臨済宗)により開創。 文禄4年(1595)、唐津龍源寺中外正寅大和尚を請じて開山。 龍源寺の末寺となる。 文化6年(1809)2月7日午前5時、浦方より出火した火災により、堂宇を焼失。 天保12年(1841)2月、叢芳寛林和尚(呼子町庄屋町の出)が再建して現在に至っている。 本尊 薬師如来。

伝説によれば、玄海町石田にあった寺と鎮西町野本、先部[1]にあった寺を併せ、現在地に建立されたという。 昭和34年、福岡県柳川市報恩寺より鉄眼禅師版の大般若経600巻の分譲を受け、300巻を観音寺に残し、あと300巻を名護屋地区岡分[2]に安置された。 毎年1月16日に岡分寺院で、同区主催の大転読祈願会が、また観音寺では毎年夏至の日に檀徒並びに浜区の大漁祈願・家門繁昌の大法要が営まれる。

ひとくちメモ

観音寺は名護屋港の高台に伽藍を構えている。 その高台の下には曲がりくねった路地の漁師町、名護屋浦がある。 境内からは名護屋浦・名護屋大橋・呼子大橋などの景色を一望できる。

境内の北側には海に向かって不動明王像・地蔵菩薩像・薬師如来像などが鎮座。 この石仏たちは朝な夕なにこの絶景を眺めておられる。うらやましいかぎりである。 海の安全を祈願しているのであろう。

南約1kmには名護屋城址。 その周辺には徳川家康をはじめ戦国大名の陣跡が点在し見所たっぷりの場所である。

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脚注

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