上のホームページに詳しく記載されている。 当寺は背振山の霊場のうち下宮にあたるという。 中宮は霊仙寺趾、上宮は背振山頂にあったという東門寺と言われている。 詳しいことは学会でもまだ研究中のようである。
門前の道は肥前街道である。
広大な敷地境内である。まずは、ホームページの境内図をご覧になってから以下をお読み下さい。
門前から一つ目の石段を登ると左手に谷山薬師堂、さらに進むと 熊野神社が鎮座している。
谷山薬師の前の坂道を登れば、本堂域である。
一つ目の石段を上った所から、本堂域⇒本堂裏手の坂の上まで三十三観音が番号順に祀られている。
ここでは、本堂・水子地蔵堂・子育地蔵堂・六地蔵尊像・十三仏など多数の石仏も拝むことができる。
ここから眺める松隈の風景もなかなかのものである。 天候に恵まれれば、遠く耳納連山も見える。
参道口の前の道は国道385号線(旧肥前街道)である。
参道口は少し南側の熊野神社の参道口と横並びとなっている。
車がかなりのスピードで行き来するのでご注意下さい。
石段は2つある。参道口から始まるもの(一つ目)と、さらにその上にある本堂域に登る石段(二つ目)である。石段は二つ共かなり急である。
二つ目の石段には多数の石仏が祀られ、まるで雛人形のようだ。 傾斜は一つ目の石段より格段に急となっている。 現在は通行不可。
段数は一つ目が83段、二つ目が20数段。
当社の鎮座の歴史は不詳。分かり次第追記します。 社殿はかなりの歴史を感じさせる趣である。 修学院とは深いつながりがあるようだ。
常夜塔には文化13年(1816)の銘がある。
境内は多くの木々に囲まれている。 社殿に向って左手には石塔・仏堂がある。
一つ目の石段を上った所に13番(14番かも?)の観音像があり、そこから順に本堂域⇒本堂裏手の坂の上の33番まで順に祀られている。
ところが、12番(13番?)以下の番号の観音様は発見できず。 かなり探したつもりだが。。。。
33体のうち半分ほどの観音像は本堂裏手の坂の上に祀られている。
毘沙門堂の建物はかなりの年数が経ったもののようだ。
御堂内には毘沙門天と弘法大師が祀られている。
蓮台・龕部・傘石のみが大岩の上に祀られている。 元は幢身があったものと思われるが詳しいことはわからない。
いたらぬ事だが、地震でこの六地蔵が落ちると、本堂域まで一気に転がり落ちはしないかと気になる。
周辺の寺院・仏教施設の検索は当ページの上部の「4km範囲寺院」のボタンをご利用下さい。