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脊振山() 霊仙寺趾(りょうせんじあと) [中宮] ★★★ 天台宗

歴史

案内板の内容をそのまま記載する。

霊仙寺趾(りょうせんじあと)

霊仙寺趾は筑前街道沿いの背振山腹の斜面および谷部の約40haにわたり、寺坊などの跡を示す約90ヶ所の平坦面がみられます。 平安時代から鎌倉時代の中心は中央部の水上坊(みずかみぼう)周辺と見られていますが、 江戸時代に再興された万善坊(まんぜんぼう)などの東谷が中心でした。 栄西(えいさい)が住んだ石上坊(いしがみぼう)は西谷にあります。

寺坊跡は1坊あたり500~2000m2前後の広さで、土塁や石垣、建物礎石(大部分は江戸時代)を築いた場所もあり、それぞれが山道や石橋で結ばれています。

霊仙寺趾からは4ヶ所墓地が確認されていますが、発掘調査した墓地からは、蔵骨器(ぞうこつき)に使用されていた鎌倉時代の中国製陶磁器などが出土しました。 また、石塔は各所に数多く残っています。

平安時代の末法思想の影響により経典を来世に残すために銅製又は陶製の筒状容器に収めて埋納した施設である経塚(きょうづ)が、乙護法堂(おとごほうどう)の裏に1ヶ所だけ確認されています。

問い合わせ 東背振村役場・東背振村教育委員会 TEL 0952-52-5111

ひとくちメモ

霊仙寺趾は日本の臨済宗の開祖・博多 安国山 聖福禅寺の開山でもある栄西ゆかりの場所でもある。

霊仙寺趾は背振山の南斜面にある。上の案内板にもあるがすごい規模の遺跡である。 は長崎街道の神埼宿の探索をすべく福岡市より三瀬峠越えで佐賀へ向かう途中、道に迷い 偶然前々からお参りしたかった霊仙寺趾の案内板を発見!! 予定を変更してお参りした。 帰りの道路凍結を気にしながらのお参りであったため、ごく一部しかお参りできなかった。

背振山の三光寺にお参りし、また霊仙寺趾にやってきた。 お天気も良く、じっくり散策ができた。

境内は公園のように綺麗に整備され、案内板も各ポイントに設置されている絶好の散策コースである。

下入口

霊仙寺趾には上入口とこの下入口がある。 駐車場・トイレも完備されている。

下入口は国道385号線沿にある。国道385号線は東背振トンネルができる前は佐賀と福岡の間を通る幹線道路であった。 近年は地元の人からは「旧道」と呼ばれている。所々かなり道幅が狭い場所があるが乗用車でも通行可能である。


石塔

石塔は、下入口より少し登った所からやや離れて道端に2基ある。


石上(いわかみ)坊跡

石段・石組は辛うじて残ってはいるものの、栄西を偲ばせるものは確認できなかった。

案内板の内容を引用する。

栄西が背振山に滞在したとき、宋から持ち帰ったお茶の種子を蒔いた場所と伝えられ、 これが日本での茶栽培の始まりであると言われています。 現在は石垣の一部と茶の古木が残り、栄西が滞在した当時をしのばせます。


ガランサン

作者はこれが何を意味しているものかも分からなかったし、それらしきものも確認できなかった。


石塔集積地

石塔は、古ぼけた金網の中にひな壇を設けて安置されている。中には「右??? 左???」の追分石のようなものもある。

案内板の内容を引用する。

霊仙寺趾には、五輪塔(ごりんとう)法筐印塔(ほうきょういんとう)をはじめ、多種多様な石塔が坊跡などに存在していますが、 近年、その多くが盗難などにより失われてしまいました。 これらの散乱を防ぐために、1ヶ所に集めたのがこの場所です。


御陵橋

現在は木橋が架かっているが、木橋の下を良く見ると、平たい長い石があり、これが本来の橋であったようである。


御陵墓

墓碑の銘を見ると「元治元年1864」「寛延3年1751」「明和9年1771」など 読み取れるものは江戸後期のものであった。


筑前街道

筑前街道は上の御陵墓から始まっているらしいが、 薮となっており案内板にも「案内人が必要」との記載がある。 かつ、作者の体力の限界の為散策できていない。

案内板の内容を引用する。

佐賀県神埼町を起点に博多へ通ずる街道であり、中世においては貿易品や年貢を運ぶための重要な道路で、近年までは実際に使用されていました。 平成8年11月には文化庁による「歴史の道100選」のひとつとして選定されています。


無名橋

平たい石の橋である。


万善坊跡

万善坊跡は杉木立の中にあり、ただ碑のみ立っている。 当時の面影を偲べる石組などは残っていない。


土橋坊跡

石組が残っているのみである。


道場坊跡

石組が残っているのみである。


御手洗橋跡

石組が残っているのみである。


香善坊跡

石組・碑のみ残っている。


東照宮跡

まだ行けていません。


のろし台

まだ行けていません。


中谷坊跡

まだ行けていません。


東福院跡

まだ行けていません。


乙護法堂(霊仙寺跡)

背振山山頂付近の神崎市教育委員会の案内板によれば、乙護法堂は和銅2年710 元明天皇の勅を奉じ湛誉上人が創建し、九州第一の大伽藍であったという。


水上坊跡

案内板の内容を引用する。

平安~鎌倉時代にかけて、霊仙寺の中心的位置を占めていた坊であったと考えられていますが、戦国時代にはかなり勢いが衰えてしまい、近世になると、 坊間の争いに敗れて荒廃してしまったようです。昭和52年の調査では3間x4間の建物の礎石や基檀、石組などが見つかっています。


霊水石

案内板の内容を引用する。

水上坊の裏手の湧水源にある石碑で、梵字(ぼんじ)が刻まれています。戦時中までは、豊作を祈願してこの湧水を汲んで、 田植え時に撒くことが地元で行われていました。


上入口

上入口は、町道坂本峠線沿線にある。ここからは霊仙寺趾へは下り道である。 トイレ・駐車場もあるが、この道は乗用車では路肩が弱い所が多々あり危険である。 乗用車の場合は下入口からのお参りをお勧めする。


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