お寺めぐりの友

PC版

() 一谷多門坊跡(いちのたにたもんぼうあと) [多門坊・日本茶発祥の地碑] 天台宗

歴史

『背振山系の山岳霊場遺跡資料集』所収の『寺院遺構からみた背振山の平面構造』寺岡 良(九州歴史資料館)の東門寺・霊仙寺の歴史の項とLinks① によれば、多聞(門)坊は、背振千坊往時の頃は中宮にあった。中世以来、上宮の別当職として上宮ヘ出仕していた。

天和3年1684から元禄2年1692にわたる筑前肥前国境争いを契機に上宮の地に移転。 さらに正徳2年1712にこの一谷に移転。 元文5年1740に現在の脊振神社の地に移転したという。

ひとくちメモ

県道305号線沿線。参道口の対面に「山頂まで4.5km」の標識あり。曲がりくねった道路脇にある。

参道両脇には良く手入れされた茶の木が並んで植えてある。 石段を少し登ると白い柵に囲まれた領域がある。木立に囲まれているが良く整備されている。

中心に石塔。文字は書いてあるようであるが作者は判読不可。 両サイドにはここで亡くなった僧侶のものと思われる墓碑が数基ある。 栄西禅師像も安置されている。いずれも苔むしている。

参道口と、境内2ヶ所に栄西の経歴の説明が記された案内板がある。 また、参道両サイドには栄西ゆかりの茶の木が植えられている。 どう見ても栄西メインの解説である。 栄西は、中宮(霊仙寺趾)石上坊に滞在したことはあるが、この多聞坊との関連は作者はわからない。 案内板に栄西と多聞坊との関連の解説が無いのも解せない。

関連寺院


周辺のスポット(4km以内)


Top