伊藤氏メモ当寺HPやお寺の方の話によると、江戸時代に尼ヶ瀬村(現在の大分市内・明磧地区。住所名としては荏隈で、同地には尼ケ瀬[1]の地名が残る)にあって大法院と呼ばれる修験寺であった。
その後、大分川の大洪水により寺は被災し150年ほど前に現在地に移転した。 平成2年に、比叡山延暦寺に帰属・金龍山臨済寺と改称してからの100周年を迎えた。()
町名「永興」は「りょうご」と読む。
伊藤氏メモ観光寺院としても成り立つほどに見どころ満載、参拝者も多く訪れるお勧め寺院です。
まず2階建に構えた仁王門が目に入る。表側には一対の仁王像であるが、裏側には風神・雷神像があるのが珍しい。いずれも歴史を感じるものである。 仁王門の先の駐車場スペースを経ると浄土院と名付けられた納骨堂があり、その先が本堂域である。 本堂域の西側には、交通安全祈願堂と檀信徒会館がある。交通安全祈願堂では不動明王像や奉納された天井絵が見られる。 毎年1月28日の星祭り満願日には、交通安全祈願堂前の広場で、有名な護摩供火渡りと湯立の荒行が行われる。
本堂域には、本堂・無礙光院・水子供養堂・尊勝院がある。 本堂内陣には五大明王像が並び立ち壮観である。五大明王像は、中央が不動明王像、その右側には降三世明王像・軍荼利明王像、左側には金剛夜叉明王像・大威徳明王像である。不動明王像の内部には、昔からの秘仏である30cmほどの小さな不動明王像が胎内仏として入っているという。 本堂は開放されており、いつでも上がってお参りすることができる。また、本堂前には香炉舎も備わっている。
無礙光院は、壇信徒各家の先祖供養堂である。 水子供養堂には、数えきれないほどの多くの小仏がぎっしりと堂内壁四面に並びこれまた壮観である。 尊勝院は、本堂の裏・東側の麓にある護摩堂である。
他にも、開山堂・弁天堂(堂後方に七福神石像)・鐘楼・東門や、水かけ不動像・ふれあい観音像・水子地蔵像・数多くの地蔵像・かっぱ石像・かえる石像などもある。()