お寺めぐりの友

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摂受山(しょうじゅさん)光楽寺(こうらくじ)[未]浄土真宗本願寺派

歴史

伊藤氏メモ寛永18年1641教誓教師により富山にて開基。現第18世。

『本願寺史料集成』によると、門主良如上人より木造阿弥陀如来と親鸞聖人御影等が、真常寺(富山県氷見市)の末寺である光楽寺(現在の富山市と高岡市の間付近)教誓の願いにより下げ渡されたとある。光楽寺は、何らかの理由により越中富山からはるばる豊前中津へその寺基を移したものと思われる。真常寺も光楽寺も、かつて火災に遭っており、当時の資料は無くその移転理由は不詳である。

当寺は、代々仏儒の学に優れた名僧を輩出、なかでも第13代吐月和上と第15代禅月和上は、学徳の高い名僧であった。吐月和上は真宗豊前学派の学名高かった浄光寺(中津市今津)月珠の恵日閣に学んだ。福沢諭吉も月珠の門に学んでいる。明治11年1877本山西山大教校(龍谷大学の前身)の教授となり、のち勧学、大学(しょう)代講となった。またかねてから奥平家藩主と親交深く、藩政の良き相談相手となり、明治2年1869中津藩知事奥平昌邁(おくだいらまさゆき)(豊前中津藩第9代藩主)より感状を受けている。この由緒により、当寺山門の扉には奥平家の紋章である[軍配五葉の松]が彫り込まれている。

禅月和上も学徳高い名僧で、現在の境内納骨堂の位置に学寮[摂受閣]を建て、遠近の子弟の教育にあたった。現在、この場所には[摂受閣学寮跡]の碑が立っている。吐月・禅月両和上の遺徳を偲び、本堂右手の築山に記念碑が建立され、それぞれ高山院・清定院と刻まれている。

現本堂は、禅月和上の昭和2年1927に、それまでの本堂が老朽化したことから、規模も拡張して欅材紫宸殿造りで建立されたものである。

当寺の住職と光林寺(鹿児島県日置市)の住職はご兄弟であり、両寺はいわば兄弟寺という。(『蛎瀬昔語り』などより)()

ひとくちメモ

未参拝の為、未稿。

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