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金剛山() 長安寺(ちょうあんじ) [花の寺] 天台宗

歴史

寺のパンフレットによれば、養老2年718に仁聞菩薩によって開基されたと伝えられる。 当時は六郷満山の中山本寺として勢力を増大し、鎌倉期には六郷山の惣山として満山100余ケ寺を統治し学頭職として満山約1000の僧侶を統率していたという。

『国東六郷満山 霊場めぐり』によれば、 本山本寺の高山寺衰微に代わり満山の中核をになう存在であったという。 慶長5年1600関ヶ原の戦いで西軍に組した大友義統(よしむね)は徳川方黒田如水の軍と石垣原の合戦で大敗。 大友方の吉弘統幸(よしひろむねゆき)(長安寺の別当職)はこの合戦で壮絶な戦死を遂げた。 翌年、統幸の残党の居る屋山城は黒田軍により攻撃され、長安寺も運命を共にしたという。

元禄1688-1704期になって豪円和尚が長安寺の法灯を旧に復する(中興)。 しかし、六郷満山の統括の資格は長安寺には戻らず、杵築城主の崇敬を受けた両子寺が満山の支配力を獲得したという。

太郎天像(榧の木の一本造り/1.6m/大治5年1130銘)・2童子像銅板経(20.9cm✕18.3cm✕0.3cm)19枚・経筥(保延7年1141銘)が所蔵されている。いずれも国指定文化財。

屋山城址は参道中ほどの大池へ向かう道を15分ほど登った所にあるという。

ひとくちメモ

本堂の標高341m(GoogleEarthにて測定)。もっと標高はあるかと思ったが意外と低い。 本堂の横幅はかなり長い。 この寺では最初から最後まで境内では作者一人の参拝であった。 本堂に参拝していると、お寺の坊守さんと思しき方(初老の女性)が出てこられ、立ち話。 やはり、冬は寒いとの事。 拝観料300円を収め、収納庫に案内される。

収納庫内の太郎天像と2童子像は目の前で拝む事ができる。 出来立てホヤホヤのような状態に見える。 900年もの間よくもこのような良好な状態で保存されていたものだとつくづく思う。 銅板経も、ガラス越しではあるが目の前で鑑賞できる。 一字5mm四方程度であろうか? 一字一字丁寧に漢字が刻まれている。 収納庫内には、大太鼓も安置されている。 太鼓の叩く面(革が貼られている面)が円形ではなく、よがんだ形。 珍しいものである。 これだけは実際に叩かせて頂けた。 歴史あるもののようである。

本堂裏手より、裏手の奥の院一帯にシャクナゲの木が多数ある。 見頃は4月15日頃〜5月10日頃という。 その頃には多数の花見客が観光バスでやってくるとの事。

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