お寺めぐりの友

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蓮華山() 富貴寺(ふきじ) ★★ 天台宗

歴史

『国東六郷満山 霊場めぐり』によれば、 養老2年718、仁聞菩薩の開基と伝えられるという。

以降に大堂の歴史を記す。 阿弥陀堂として宇佐八幡大宮司の氏寺として建立されたものという。 その後、武士によって荒らされ衰微して、天正1573-1592年中には大友の兵乱によって大破。 破損した瓦を捨てて村人達によって草葺屋根となる。 延宝5年1677、肥前島原藩主松平忠房が修理。 明治40年、国の特別保護建造物に指定。 明治45年、草葺を瓦葺きにして大修理。 昭和20年4月、米軍機の爆弾が大堂そばに落下、大堂は大破。 昭和22年、大分県が大修理。 昭和27年、国宝に指定される。 昭和39年、大堂の屋根を葺き替え。 現在に至るという。

案内板によれば、東に妙蔵坊跡、西に大門坊跡・清音寺跡、南に南之坊跡がある。 これは当寺の子坊・子院であったのであろう。

地名の「田染蕗」は「たしぶふき」と読む。

ひとくちメモ

、念願の富貴寺の参拝が叶う。 平日(木曜日)、お昼すぎの参拝。 境内は作者一人のみ。 本堂に参拝後、石段を登り大堂参拝。 阿弥陀仏の前でしばし念仏。 大堂他、境内は木々に包まれ、昔懐かしさを感じさせてくれるお寺である。 写真は次の順で掲載する。

大堂域本堂域奥の院大権現社山門周辺門前その他

大堂域

大堂は左右の扉より入場し拝観できる。 阿弥陀如来は目の前で拝む事ができる。 堂内壁面には、多数の仏の壁画が描かれているようであるが、薄暗くてあまり良く見えなかった。 堂に向かって左手には、国東塔十王像大乗妙典一字一石塔・凝った造りの石祠などがみられる。 堂前にはカヤイチョウの大木がある。

寺に入る時は作者一人のみ。大堂内で静寂を味わっていたが、突然一台の観光バスの団体客と思しき人たちが入場。 ガイドの形通りのガイダンスの声が耳にさわり即刻奥の院へと逃げる。 お寺に人がいないのは寂しいが、団体客の喧騒は作者は苦手である。 お寺の維持にはこういった団体客は一番役立つのかもわからないが。。。 わがままな作者であるとつくづく思う。


本堂域

本堂は、歴史を感じさせる建物となっている。 石垣・土壁もかなりの年歴を経たもののようである。 ご本尊、阿弥陀三尊像は目の前で拝む事ができる。 三尊像に向かって右手には不動明王像も安置されている。 本堂に上がる石段は文化2年銘。


奥の院

岩を繰り抜いた穴に薬師如来像と思しき2対の石仏が安置されている。 周辺には、多数の石塔がみられる。 奥の院より石段を少し下りた所には歴代住職の墓地と思われるものもみられる。


大権現社

大権現社へ登る石段は、大堂に向かって左手奥にある。 拝殿前の一対の石灯籠は「元禄11戌寅1698歳」銘。

鳥居の笠木の直下に輪(台輪)がはめ込まれている。 作者は山口県萩市の円政寺参拝の折、 寺の職員の方から「かなり珍しいもの」と伺ったことがある。


山門周辺

山門両脇には石造仁王像が立っている。 山門脇をくぐって右手には、宗務所がありこれが受付を兼ねている。 ここで拝観料を収めて入場する。 山門前には、六地蔵塔庚申塔などがみられる。 石段の両脇には、紅梅白梅が多数植えられている。 山門前の梅の木の脇では、地元の方が農作物のおみやげを売っておられた。


門前


その他


周辺のスポット(4km以内)


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