『長崎街道―肥前長崎路と浜道・多良海道 (九州文化図録撰書)』によれば、 深海村の300石は長崎港西の深堀藩の飛地であった。 第17代領主深堀純賢は家督を茂賢に譲り、 名を茂宅と改め、深海の榎堂で過ごした。 内室(天初院殿)の没後、寺を建立し、その名を寺号とした。 本堂裏には純賢夫婦と殉死した岳父、家臣の墓がある。
深海神社は慶長17年1611純賢が創建。 自ら居を神社の西側に移し余生を過ごした。
境内西側の孟宗竹林の中に10数本の「ヒゼンマユミ」が自生しているという。(町指定天然記念物)
未参拝の為未稿。