お寺めぐりの友

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護國密山佛性院(ごこくみつざんぶっしょういん) 金剛乗寺(こんごうじょうじ) [西の高野] [未1] 高野山真言宗

歴史

天長2年825、弘法大師が開く。 その後衰退。 元暦元年1184、後鳥羽院により再興。 その後衰退。 元弘元年1331、権中僧正(恵鏡法印)により再興される。 文明年間1469-1487、中興権大僧都法印〔宥明大徳〕が、祈祷により一時お湯が出なくなっていた温泉を回復。 その功により菊池肥後守(藤原重朝)より田畑一町余りの寄進を受ける。 その後、加藤清正より寺領、寺敷などを没収され、寺敷は僅か6反19歩を残すのみとるが、毎年、米2石はいただけることになる。 寛永20年1643、細川忠利が寄付米を廃し、新たに寺敷だけを従来通り寄付することとなる。 その後、国主の手厚い加護を受ける。(ホームページより)

門前は薩摩街道である。

ひとくちメモ

法印供養法要の際山鹿庶民の献じた紙灯篭が灯篭祭の始まり。お手植えの弁財天所縁の童子椿は法印の再来を待ち、花を開かず蕾のまま散るので有名。 (Links②より)

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