正平12年(1357)、菊池武重の遺命により、弟の武澄が大智禅師を迎え開山。 寺には多くの古文書が伝えられており、廣福寺に関してのみならず、中世の菊池氏の動向や肥後北部の情勢を知る上で重要な資料が残っている。(Links① より)
寺は山の中にある。 周辺は高木に囲まれ、昼なお暗い状態である。 「不許葷酒入山門」の石塔がある参道口より参道に入ると両脇には杉の大木の並木がある。 参道右手には三十三観音(石仏)が鎮座。 鐘楼門にたどり着く途中の石段も歴史を感じさせるものとなっている
鐘楼門はかなり凝った造りとなっている。 鐘楼門をくぐれば、正面に本堂がある。 本堂は古民家風の造りとなっている。 そこはかとなく、昔懐かしさを感じさせる。
まさに筑前国の貝原益軒が福岡県糸島市の妙立寺のことを讚えた文章
此所深山窮谷に非ずと云ども、幽僻の地にして塵じん境を隔る故に、常に詣来輩稀也。清き瀧有。向にちかく山有。 銀杏金木犀、など有て、春秋は殊に見るに堪たり。人聲まれにして、唯水の音鳥の聲のみ聞えて、 心閑に日長く、誠に奇絶なる佳景也。暇有人はともにあそぶべし。
である(文章は一部改変しています)。
Links① によれば、開山堂があるという。作者は見逃してしまった。 寺の脇を通る道を東は道なりに1.8kmほど下った所に廣福寺橋がある。
橋の場所はここである。
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