Linksのページによれば、 行基自ら敬刻の馬頭観音を安置したことに始まると伝えられ、 その後、中国寧波より来朝された東陵えいよにより、観応2年1351建立されたという。 剣豪宮本武蔵が、藩主細川忠利の求めに応じて寛永20年1643から2年間この洞窟内で坐禅したとされ、 有名な『五輪書』はここでまとめられたといわれるという。 裏山の岸壁には十六羅漢と五百羅漢が並び、また、奥の院の霊巖洞内には石体四面の観音像が安置されているという。 (五百羅漢は塩田石工作という情報もあるが未確認。)
寺内に所蔵されている禅師倚像は国の重文に指定されている。
未稿。