お寺めぐりの友

PC版

() 本願寺人吉別院(ほんがんじひとよしべついん) 浄土真宗本願寺派

歴史

本堂脇の案内板の内容を下にそのまま記す。

隠れ念仏の里

一向宗(真宗・浄土真宗)一揆と云うのは、室町幕府1336-1573の末、諸国の紛乱に乗じて本願寺門徒達が地方の豪族と争いを起こした乱です。

相良藩は、肥後の諸地との交渉がなく地理的に南接する薩摩藩と深く関係がありました。 ですから、宗教政策も薩摩にしたがって一向宗(真宗・浄土真宗)の念仏禁制を布くに至りました[1]

一向宗を信仰して居る人々は見つかると捕まえられきびしく罰せられましたが、それでも信仰者達は隠れて命がけで念仏を唱えました。

記録によると、第13代相良長毎公の永正年間1504-1521に禁じられ、明治9年18769月5日の禁制が解かれるまで実に360有余年の永きに亘って、きびしい圧政にしいたげられました。

本願寺 人吉別院

真宗禁制解禁第1号の浄土真宗寺院で、明治11年1878、現在地に「本願寺人吉説教所」として竣工しており、これが人吉別院の創建です。 明治36年1903に「光尊寺」と改称し、本山別院と定めて地方庁の許可を得ました。 その後、大正8年191911月21日に認可され「本願寺人吉別院」と改称、現在に至りました。

当別院のご本尊は、京都勝満寺の息で、一条・浄教寺の住職でもあった能化(現在の勧学にあたる)智洞師の所宝を、本山より明治36年に御下附になった由緒ある阿弥陀仏です。

境内には親鸞聖人の石像、歌碑(共に「無憂華会」建立)、三田源七老の名号碑等があります。

ひとくちメモ

境内には僧形の石仏、石塔などがみられる。

脚注

Top