お寺めぐりの友

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龍石山()教法寺(きょうほうじ)[未]浄土真宗本願寺派

歴史

ホームページよりほぼ原文のまま引用する。

教法寺は元来満徳寺(阿蘇内牧)の境内に末寺として4ヵ寺があったもののうちの1ヵ寺。文久4年1864、第9代恵瑞師が本願寺より教法寺の寺号の認可を受けた。

西南の役(明治10年1877)の時、的石(尾ヶ石村的石)[1]の人、山内柳八38歳が選ばれて官軍の密偵として二重峠[2]方面の敵情を探察におもむき捕らえられて惨殺された。的石の有志の人々がその葬儀を営むのに西南の役の最中であるため寺僧が出向くことは困難であった。 しかし、恵瑞の嗣子得忍27歳が進んで出向き葬儀を執り行った。その勇気に村人はいたく感謝して敬慕して止まなかった。役後、得忍は黒川村水口に移り、更に明治14年1881頃村人の切望によって現在地に一寺を建立した。

的石の市道の傍らに山内柳八殉難の碑が立っている。

門前は豊後街道である。

ひとくちメモ

未参拝の為、未稿。

関連寺院


脚注

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