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瑞高山()素盞鳴神社(すさのうじんじゃ)[東光寺跡]☆☆☆神仏習合

歴史

境内の案内板の内容をそのまま記す。

瑞高山東光寺と祇園社の由来

東光寺は、元来神仏混交の時代、 社僧が神仏に奉仕していた。 もと上町[1]にあったが、 寛延元年(1748)の大火で類焼し、 宝暦13年(1763)東光寺5世律師後藤円理の時代に、 現在地にうつされたものである。 安永3年(1734)藩主有馬頼重公より東光寺の寺号を授与され、 久留米城内慈恩院祇園寺の末寺となる。 初め天台宗、 のち真言宗に転じ、 天明8年(1788)高野山発光院から「瑞高山」の山号を授けられた。

東光寺には寺子屋が開かれ、 多くの吉井商人の子弟が学んだ。 日田の広瀬淡窓の生母は、この寺の出身で第7世住職後藤桓龍氏の娘「ゆい」である。 また、9代目の後藤謙次郎の三男格次は学士院思賜賞を受けた著名な化学者として知られる。

明治の初期、神仏分離令により廃寺となった祇園社は、 素盞鳴神社(すさのおじんじゃ)と改称、 新たに司掌職が置かれ、安元幸雄氏が社掌を拝命された。

ひとくちメモ

門前には南新川が流れ、石橋を渡り、鳥居・楼門をくぐって境内に入る。 境内には、作者が今までに見たもので最大級の恵比寿像が建っている。 像の銘は残念ながら読み取れない。 自然石に刻まれた恵比寿様のお姿は鮮明である。 楼門もなかなかの年代物のようである。 (案内板によれば、明治期までは南新川の脇(鳥居の地点)にあったようである。)

伊藤氏メモ神社拝殿の西側に「史跡東光寺趾」の新しく大きな石碑と、「瑞高山東光寺と祇園社の由来」の説明板があります。()

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脚注

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