『吉井町誌』の第2節各寺院記の内容をそのまま記載する。
大悲山円応寺 真宗大谷派光教寺末寺(吉井町字阪井町)
天正12年(1584)5月善了の創建。 後明暦2年(1656)2月星野伯耆守の裔佐藤九郎兵衛長貢は剃髪して浄心と号し当寺に任した。 中興の祖といわれている。 寛延元年(1748)、吉井町大火の際類焼の厄にあい、同3年に再建された。 梵鐘は昭和31年4月再鋳されている。 現住職は16世藤谷恵教である。
同書によれば、江戸期には圓應寺の西側に藩主、幕府役人、藩役人の宿泊接待所である御茶屋があったという。
圓應寺は旧日田街道 吉井宿の中に伽藍を構えている。 門前の県道210号線の地点は宿場内で西から数えて2番目の枡形構造道路の出口となっている。 境内には、本堂の他鐘楼が観られる。
伊藤氏メモ筑後(日田)街道(国道210号線)本町交差点から南へすぐにある。現第17世。()
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