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() 別所毘沙門寺(べっしょびしゃもんじ) [別所毘沙門天・大山住神社] 不詳

歴史

大山住神社の境内にある。 『背振山系の山岳霊場遺跡資料集』所収の『寺院遺構からみた背振山の平面構造』寺岡 良(九州歴史資料館)の東門寺・霊仙寺の歴史の項によれば、この寺は背振山岳信仰に関連する施設であったという。

境内の案内板の内容をそのまま記載する。

別所毘沙門寺院の由来

鎌倉時代の弘安8年1285有名な岩戸合戦[1]があった。 その15年後の正安2年1300修学院[2]文書の中に背振山東門寺水上坊の法橋長印置文案に 岩門郷別所毘沙門寺院主職(所領所職)を大進房栄印と文殊丸に譲るとある。 このことからも当時別所[3]にはすでに毘沙門寺院が存在していたことが判る。 奈良・平安・鎌倉時代にかけて背振千坊と栄えた背振山東門寺の北方を守る大切な毘沙門寺院であった。

お堂の中にある毘沙門天は高さが1m58cmである。 長年月を経て傷みがはげしいので博多の佛像師に修復に出された。 師はこの像を見られ即座に九州には3体しかない。 現在はおそらくこの1体しかないだろう。鎌倉時代まで十分さかのぼる大切な佛像であると「郷土史家」川崎幹二氏より言われた。

昭和62年7月新しく修復されているが気品のある見事な佛像である。 毎年冬至の日には毘沙門天祭が行われる。 当日の南瓜ぜんざい「銭財」は有名で、近郷の善男善女の参拝者で賑わう。

この南瓜ぜんざいを食べると中風にならない。火災の火元を出さないと代々申し伝えられて、家内安全・商売繁盛の佛様であると今でも盛大にお祭りをなされている。

平成2年12月吉日 別所毘沙門天宗務所

ひとくちメモ

狭い参道を20mほど進むと石段。 石段を登ると鳥居があり、それをくぐると右手に毘沙門堂がある。 毘沙門堂は縦長の造り。一番奥に祭壇があり毘沙門天はその上の格子戸の中に安置されている。 修復された為、新品同様のお姿をしておられる。 格子戸は施錠されている。冬至の毘沙門天祭の時は開かれる。

毘沙門堂の表は扉が無く、靴を脱いで上がって目の前で参拝できる。 入口には防犯センサーが設置されており、入り口を通るたびに防犯ブザーが鳴動し、スポットライトで照らされる。 近年の仏像泥棒多発のせいでこれはやむを得ない設備なのであろう。

毘沙門堂を右に見てさらに奥に進むと石段があり、そこを登ると大山住神社の社殿がある。 社殿はあいにく改築中であった。()

毘沙門天祭

(冬至)、お祭りに初参加。 参道口周辺はお祭りに参加する人々の車がびっしりと並んでいた。 普段は人気(ひとけ)の無い境内は、お祭り参加者でいっぱいであった。 毘沙門堂脇にはテントが張られ、「南瓜ぜんざい」の振る舞い会場となっていた。 ぜんざいにはカボチャとアズキが入っており甘めを抑えた結構なお味。 手作りのお漬物もおいしかった。

毘沙門堂前では「福銭替」が催されていた。 五円玉を頂き、次の年にその倍を納める儀式のようである。 主催者に伺ったが今一このルール(作法)は作者は理解できていない。

参道には手作りの食品・生花などを販売する地元の方々の出店(でみせ)も出ていた。 こんなに賑わっているとは思わなかった。 地元の方々総出の接待。感謝感謝である。

毘沙門天が安置された祭壇も開扉され、色鮮やかなお姿も眼前で拝めた。 毘沙門天に向って右手に像高30cmほどの木仏が安置されている。 木肌が丸出しでかなり傷んでいる。相当な古仏のようである。 毘沙門堂の上手の大山住神社の社殿は未だ改築中であった。


脚注

関連寺院

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