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天目山() 興国寺(こうこくじ) [興国禅寺] ★★★ 曹洞宗

歴史

境内の説明板の内容をほぼそのまま記す。

福岡県指定有形文化財


當山興国寺は、伝に従えば足利尊氏発願による豊前安国寺の後身という。 古くは天台宗福智寺であったが、嘉暦元年1326無隠元晦(むいんげんかい)禅師は 時の豊前・豊後の太守・大友貞宗の帰依を受けて再興開山となり、臨済宗となる。 のち、元徳2年1330後醍醐天皇勅願所として天目山寳覚寺と号した名刹である。

暦応3年1340足利尊氏により安国寺の第一位として安国福城山泰平興国寳覚禅寺と改められ、 天文13年1544豊前守護・大内義隆によって曹洞宗天目山興国寺として再興される。

右の如く南北朝以降の名刹として當寺には桧材寄木造り彩色、五眼[1]嵌入による南北朝時代の作である等身大の開山無隠元晦禅師 [2]の頂相彫刻がある。 円頂[3]・衲衣袈裟懸けの坐像は、元朝天目山にて 中峰明本国師のもと参禅し17ヶ年の修行を終え師の法を嗣ぎ帰国され、 聖福・建仁・南禅・円覚・建長の名刹に歴住した禅師の風貌をよく伝えている。

また、當寺の歴史を徴する古文書として、足利尊氏・同直義・同義持・大内盛見・同義典・ 同義隆等の書状をはじめとして、南北朝より室町時代の中世文書、江戸時代小倉藩細川幽斎、 小笠原忠雄の文書等計24通(巻本二巻仕立)がある。

佛殿(観音堂)は享保4年1719の建築で質素なつくりが禅宗建築の特徴を示している。 柱などに建築当初の部材が多く残るほか、ひさし状に張り出した裳階を巡らす建築は県内でも 少なく貴重である。

なお、附石註一基は建設の期日を示し貴重である。

福智町教育委員会

ひとくちメモ

興国寺は福智山の南西の山裾の街上野(あがの)のはずれに伽藍を構えている。 上野は「上野焼」の里でもある。に最初にお参りしたが、静けさの中で突然の蝉しぐれ。 久しぶりの体験であった。

参道口は県道62号線の脇にある。 大正13年銘の門柱が建てられている。 そこから250mほどなだらかな坂道を登れば、山門にたどり着く。 山門から山門楼へは約200メートルほどの古道である。これが本来の表参道のようである。 参道左側の崖には多数の羅漢像が鎮座されている。右手にはツツジの大株が群生している。 春には見事な花を咲かせる。 二重屋根の山門楼をくぐると池があり、その上に架けられた石橋を渡ると本堂である。しぶい。

宮若市黒丸の清水寺とも縁のある寺院のようである。

興国寺より2kmほど曲がりくねった舗装されている坂道を登った所には、福地中宮神社白糸の滝がある。 白糸の滝は古くは「梵音の滝」と呼ばれ、滝の両サイドには不動明王の石像があり、修験者の修行する場であったと思われる。

にもお参りしたおり、山門脇の境内の案内図を見ていると、西側の小山の中に「観音寺城」という城跡があるということが分かった。 ひょっとすると興国寺は中世戦国期はこの城の一部であったのではなかろうか? ヘビのいない秋以降にその城跡にも行ってみよう。

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