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眞永山長福寿院() 光願寺(こうがんじ) 浄土宗  FACEBOOK

歴史

境内の案内板の内容を下に記す。

光願寺本尊 阿弥陀如来 創立 並に 公称 天正3乙亥年(1575)4月14日

当寺は、元佛法山東光寺と称して天台止観の道場であったが 戦国の際無住となった。 偶々(たまたま)人皇第107代正親町天皇の御宇天正3年1575、 今を去る400年の昔、 鎌倉光明寺の秀慶和尚飛錫して香春岳の山麓に至り、 富永新四郎宗眞を大檀那として寺号を眞永山長福寺と称し総本山知恩院所属で開山したが後、 光願寺と改称し、爾来只管弘法に努めて来ていたが、昭和20年19459月台風による山津波の為、 堂宇埋没し住職寺族等遭難死亡した。 其の後昭和26年1951当寺の末寺であった修幅寺の跡であるこの地に再建し今日に至ったものである。

尚当寺は寛永2年1625踏絵令発布により田川の各町村は年々当山に於て踏絵が行なわれていたので世に外道佛を踏む判形の寺と呼ばれていた。 而してその規定個条書は2軸の巻物として保存されていたが、 前記昭和20年の惨事の災害で埋没し今は既に空しく跡形もない。

平成17年5月 眞永山 光願寺

秋月街道香春宿内の移転前の地には、 門柱と、樹齢約800年の大(くす)(福岡県文化財)が立っている。

参考:『香春町誌』

ひとくちメモ

光願寺は香春岳一の岳の対面の山の中腹に伽藍を構えている。 境内からはもちろん香春岳を望むことができる。 周辺は広大な墓地となっている。

境内には、藤棚・観音堂・地蔵堂・六地蔵・水子地蔵・勢至丸(法然上人の幼児期)の像などが安置されている。 観音堂には「田川四国東部第ニ番札所」の木札が掛けられ、堂内には、西国三十三観音霊場を模した観音像が33体安置されている。(作者はちゃんと数えていないので誤っていたらご容赦ください。)

香春町誌』の光願寺の項

当寺光願寺は、元仏法山東光寺(社記に雲立山とあり)と称して天台止観の道場であった。 乱国の際無住となる。 ここに鎌倉光明寺の僧秀慶なるもの飛錫して此処に至り。 富永新四郎宗真を大檀那として寺号も真永山長福寺と改め、 総本山知恩院の末寺となる。 其の後正徳6年1716紀州公将軍となり長福と云う公子ありし為、 遠慮して享保元年1716長福寺を改め光願寺となす。

昭和20年19459月17日台風による豪雨の山津波の為、 一山埋没住職寺族死亡す。 後此の地に再び再建す。

寛永2年1625踏絵の令発せらるる爾来本郡は当山に於て年々是を行う。 世に外道仏を踏む判形の寺と呼ばる。 当時の規定個条書、2軸の巻物として保存せられしも、 昭和20年の惨事に埋没今は既に無し。

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