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大慈山()慧日寺(えにちじ)[慧日禅寺]★☆☆黄檗宗

歴史

Linksのページによれば、宝永2年(1705)柳川の梅岳山福厳寺第4世住職霊峰和尚が、 久しく荒廃していた浄土宗永昌寺(栄勝寺)を、 柳河藩主立花鑑任の許可を得て創建開山したものであるという。 寺宝として、1寸8分(≒5cm)の観音像があるという。(詳しいいわれはLinks参照。) 本堂は、現存する棟札によれば、宝永5年(1708)、霊峰和尚によって完成するが、 狭隘であるため改築を計画、延享2年(1745)に改築が完了。 さらに天保10年(1839)、第13世恵厳和尚によって大修築が行われ現在に至るという。

伊藤氏メモ慧日寺の創建(宝永2年(1705))の経緯について、『三池郡誌』に次のような記載がある。(『筑後の寺めぐり』より)()

白銀川の北にあるこの地は幽邃(ゆうすい)の地であり、往古は永昌寺という浄土宗の寺院があったが、衰退して寺号だけが残っていた。その一角に圓通庵という観音堂があり堂守の僧がいた。

ある日、その堂守が山野を開墾しているときに約5.5cmの観音様が土中から出てきたので、庵室にお祀りしていた。 柳川第4代藩主立花鑑虎(たちばなあきとら)が狩りの途中、偶然この観音像のことを知り、「奇異なり」と城中へ持ち帰り、大切にお祀りした。

その後、第5代藩主の立花鑑任(たちばなあきたか)が大病されたときに、福厳寺4代住職の霊峰(れいほう)禅師が一心に祈祷して平癒されたので、鑑任は禅師の徳を称えて、圓通庵は他所へ移し、永昌寺の地を禅師に退遁の地として与え、堂宇を建立した。寺号も永昌寺を改め慧日寺とした。前述の小さな観音像も禅師に賜った。

ひとくちメモ

山門(不二門)前の石段の参道は現在ほとんど使われていないようであるが、苔むしておりしっとりとした味わいのあるものとなっている。 本堂は近年修復されたようで外観は真新しい。 側面の壁(なまこ壁?)のデザインも凝ったものとなっている。 境内には閻魔堂・慈母観音像などがある。 県道93号線沿いの参道口の脇にある放生池と思しき沼地の中には傾いた石祠がある。

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