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玉雲山() 龍昌寺(りゅうしょうじ) [龍昌禅寺] ★★★ 曹洞宗

歴史

境内の説明板の内容を抜粋して記す。

岡城を築城したと伝えられる麻生家延の孫麻生弘茂の開基で、長門国深川の大寧寺 八世足翁永満禅師が開山。1490年ころの創建と思われる。

麻生弘茂の子隆守は天文15年1546に大戸の家臣瓜生貞延に攻められ、 内浦の海蔵寺で自刃した。その後、瓜生貞延が岡崎に居住し支配したので、 龍昌寺は衰退した。

慶長5年1600黒田長政が筑前国に入り、守りを固めるため国内に六つの城を築き武将を配置した。 そのうち井上九郎右衛門周防之房(いのうえくろうえもんすおうゆきふさ)[1] (井上道柏(どうはく) ・井上周防(すおう) 以下井上周防)は豊前方面に対する備えとして黒崎城を築き、 八幡、遠賀一円を領地した。

井上周防はもともと信心深く禅門に入っていたが、閑寂、幽邃の龍昌寺を愛し、ここを菩提寺に定め 元和3年1617に再興した。

(県指定文化財) 紙本奢色黒田如水像・紙本奢色井上周坊像
(町指定文化財) 紙本奢色釈迦八相涅槃図・井上周坊の墓

参考:『筑前國続風土記』

ひとくちメモ

龍昌寺は岡垣町の山林内にひっそりと伽藍を構えている。 本堂裏手の山全体が龍昌寺の寺域となっている。

本堂脇から長い石段を登って行くと両脇には多数の石仏があり、その先には鐘楼・不動明王像・大師堂・平和観音菩薩像などがある。 この石段はあまり目立たないのでお見逃しなきよう。 また、山門の屋根の絵、本堂の昇龍の彫刻・鐘楼の屋根の絵。みごとである。 説明板にも記載されているがまさに閑寂、幽邃のお寺である。

本堂裏手には井上周坊、竹井伊豆守、瓜生長門守の墓所がある。

伊藤氏メモまさに閑寂、幽邃。仁王門・本堂裏の井上周防の墓所はぜひともです。★3つも納得の山裾の古刹です。本堂は自由に上がれますし、この時期はアジサイも見られます。()

『筑前國続風土記』巻之14 遠賀郡上の項

龍昌寺禪宗

玉雲山と號す。 高倉村にあり。 麻生彈正弘繁(ひろしげ)是を創立せり。 開山は足翁永満和尚と云。永正2年1505に寂せり。 然ば其、前明應1492-1501文龜1501-1503の比建立せしなるべし。

長門國深川泰寧寺の末寺也。 中比廃亡に及びしを、長政公の家臣井上周防入道道栢再興して、 如水公長政公両君の位牌を安置せり。 道栢没後此寺に葬る。 墓所あり。

長政公の長女林光院寄進し玉ひし涅槃像あり。 其位牌も(ここ)に安置せり。 林光院は井上道栢の長子淡路室也。 淡路没後尼となり、林光院と稱す。淡路は江戸直参の士となる。

脚注

関連寺院

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