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潮音山()観音寺(かんのんじ)[観音禅寺]臨済宗大徳寺派

歴史

伊藤氏メモ『筑前の寺めぐり』には次のような説明がある。

この寺の本尊の観音様には次のような話が残る。『遠賀郡誌』によると、応永元年1394春、芦屋浦の漁夫刀根四郎が潮入川で(このしろ)漁をしていると、急に足元で激しい風が起き、網の中がことに激しく騒がしいので、怪しんで網を上げてみると、鰶ならぬ大きな木造の観音様(三尺の坐像)が網にかかっていたという。立派な仏様であったので寺に安置、寺名も観音寺と改めて本尊にしてお祀りするようになったと伝える。

寺伝によると、観音寺の創建は至徳2年1385、開山は錦渓守文(きんけいしゅぶん)禅師。 前身は葦屋寺といい、昔ヶ原という場所にあったという。昔ヶ原は、現在は航空自衛隊芦屋基地内の滑走路あたりになっている。昔ヶ原時代の葦屋寺は七堂伽藍全て整い、塔頭も12ヶ寺ある大寺であったらしい。 蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師が京都建仁時にいた弘長元年1261に、北条の被官宿屋入道から葦屋寺の寄進を受け、肥前小城の三間寺(さんげんじ)(現:円通寺)の住職若訥宏弁(じゃくとつこうべん)に兼任を依頼した書状(『円通寺文書』)が残されており、この時代には葦屋寺は既に存在していたと考えられる。

現在地への移転は江戸初期で、惣門は初代藩主黒田長政公の建立、3代藩主光之公が再建。また、黒田家から浜山5600坪の寄進など、藩主の外護を受けた寺である。

山門に連なる壁が黄土色であるのが特徴的である。本尊は50年に一度の開帳。現第29世。()

参考:『筑前國續風土記付録』

ひとくちメモ

観音寺は旧唐津街道芦屋宿の小高い丘の上に伽藍を構えている。 参道口付近は、古い街並みがまだ見られる。 晴れていると山門から眺める遠賀川、その先の山鹿の街並みは絶景である。 鐘楼の鐘には、美しい観音像が刻まれている。(下の写真を参照のこと)

上の『筑前國續風土記付録』の延命寺は、現在、作者は所在の確認がとれていない。

『筑前國續風土記付録』巻之28の遠賀郡芦屋村の項

観音寺禅宗済家 佛堂5間8間

潮音山と號す。崇福寺に属せり。 至徳年中1384-1386錦渓守文といへる僧開基せり。 初めハ芦屋寺と號す。 此寺の本尊観音佛ハ、應永年中1394-1427漁夫刀根四郎と云者の網にかかり、 海中より上りしを(ここ)に安置せり。 ゆへに寺號とせる由寺記に見へたり。 此寺の傍に延命寺と云子院院地に若宮の社あり。 此餘塔頭2寺ありしか今ハなし。

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