お寺めぐりの友

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医王山() 堂塔寺(どうとうじ) 真言宗

歴史

寺内の石碑の内容を下に記す。

堂塔寺の由来

この小さな丘は遠賀郡遠賀町若松にあり、堂塔寺山または薬師山という。 山の南左右に丸尾という砦ありし由言伝う。 寺は永禄年中1558-1569、大友宗麟の兵火に罹り廃絶する。 現在この寺北1町の所に薬師如来の石仏と、その傍に榎木の大木があり、 その下に目洗い井戸がある。 径3尺深さ8尺。里民の伝に昔朝日長者または月軒長者という者、 一人の女子あり、 眼を病みて彼の薬師に祈りければ、この井戸にて眼を洗うべしとの夢の告あり、 則ち洗いしかば、たちまち眼疾平癒す。 故に目洗いの井戸となづくという。 この長者の宅址は、この井戸の西2町ばかりの丘で今でも月軒という地名で残っている。

この月軒(つきのき)長者のいたという屋敷跡に昭和のはじめ、川端家が移り住み農業を営みいたりしが、 そのうち嫡子利夫氏に縁ありて昭和9年当時遠賀村鬼津の二村家より妻を迎えることとなり、 嫁いで川端ハツという。

彼女は幼き頃より身体が弱く信仰心が厚かったので、 ある夜、夢に月軒長者の一人の女子があらわれ堂塔寺を再興すべし。 さすれば汝に衆生済度の願力を与えるであろう。 またの夜再度薬師如来および地蔵菩薩その他の菩薩を世に出し衆生済度せよと数々の不可思議なお告をうけ、 これより彼女は難行苦行修験修行道をきわめることとなり、 昭和30年、伊津野亮賢師について得度し、 僧名を川端亮貞師となる。 遂に衆生済度の願力を得、 開願の因縁により、 1963年、即ち昭和38年廃寺より数えて410余年を経て、 ここに堂塔寺を再興するにいたったのである。 奉斎本尊弘法大師、大日大聖不動明王、薬師如来、地蔵菩薩および諸仏をまつる。

南無大師遍照金剛 合掌

堂塔寺の門前の道を遠賀川沿いに150mほど下ったところに堂塔寺趾があり、 その背後の林の中に目洗井がある。

ひとくちメモ

堂塔寺は芦屋の遠賀川沿に伽藍を構えている。門前の遠賀川はプレジャーボートの係留場になっており、 休日ともなれば釣り糸を垂れる人も多い。

本堂裏手には、広い庭園・お滝場もある。 そのすぐ裏手は、芦屋ボートレース場である。

伊藤氏メモ現在、本堂左前の本堂改築記念碑のさらに左には、「中興第1世大僧都亮貞法尼」のブロンズ坐像が鎮座している。()

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