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西方山極楽院() 安長寺(あんちょうじ) 時宗

歴史

筑前国続風土記拾遺』巻之32 遠賀郡 元 蘆屋村の項に下記の記載がある。

安長寺

寺中町に在。 西空山極楽院と云。 光明寺に属す。 空也堂なり。 上人の木像(ならびに)古画像あり。

此所に芦屋念佛とて俳優(わざをぎ)の者住して此堂を守る。 始は垂間橋の辺に住せり。 其後今の舩頭町に移る。 慶長10年1605此湊に御舩を繋かるるによりて舩頭の宅地となる。 故に其替地として祇園崎に國君の別業有し址を寺中町となして移らしめられしといふ。

境内の案内板(昭和63年9月10日 芦屋町教育委員会)によれば、空也上人像・守り札の版木・空也堂の扁額・鹿角の杖・芦屋役者関係の過去帳・由緒書などが伝えられているとのことである。

ひとくちメモ

岡湊神社の道路をはさんだ東側に安長寺はひっそりと伽藍を構えている。 門前の道路は結構車の往来が激しい。 そのすぐ裏手には遠賀川の河口が広がる。

山門の両側は祠のような造りとなっており、地蔵菩薩の石像がお参りする人を迎えてくれる。 境内は、門前の車の喧騒を忘れるほど静寂である。 本堂内には「空也堂」がある。

伊藤氏メモ境内に建つ「芦屋歌舞伎の役者町跡」の石碑には次のような説明文が刻まれている。

「平安時代諸国遍歴の空也上人に従って当地に来た供人達を祖先とする念仏衆の人々は、慶長10年1605藩主の御茶屋跡であったこの附近の地を賜り寺中町を形成し、いつしか歌舞伎を手がけ各地を巡業し、芦屋役者の名声を博したが、明治の末期に廃絶した。当安長寺は、初め空也堂として役者町の人達が建立したものである。」 ()

『筑前国続風土記』

巻之14 蘆屋の項に下記の記載がある。 下の聖福寺の側に居る俳優とは、当時の金松山 西光寺のことであろう。

(前略) 此所の東側に一村あり。 民家數10戸あり。 是を寺中町といふ。聖福寺の側に居る俳優(わざをぎ)と同じ類なる故、寺中と稱す。

其始は(もっぱら)九品の念佛を以て其業とす。 故に今に至るまで國俗是を蘆屋の念佛と云。 浄土宗也。 空也上人を以て其祖とす。村中に空也堂あり。

然ども今は(もっぱら)世俗の好みにしたがひ、 淫靡(ゐんび)歌舞(かぶ)を以て四方に(くちもち)ひ、人心をとろかし、風俗をそこなふ。

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