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光雲山() 安照寺(あんしょうじ) 浄土真宗本願寺派

歴史8 phrases

本堂前の案内板の内容をそのまま記載する。

安照寺縁起

当山安照寺の開基は岡城[1]滅亡に起因する。 筑前の国遠賀の西域、吉木の岡城は麻生家の居城なり。 その祖は関東麻生の荘藤原氏にして源頼朝に仕え、その功績により筑前山鹿の荘上津役の荘5000町歩を賜り花尾に居城す。 戦国の世には中国の覇者大内氏に従属し14代麻生弘助は主人大内氏の命に従い妾腹の子家曹を花尾に、 嫡男家延に岡1000町歩を与え別居させたり。

これ岡城の始めなり。 その後7代目隆守の代に至り、その主人大内氏は家臣に滅ぼさる。

当時隣国の大友氏は九州制覇の野望あり、鋭鋒を北方遠賀の麻生にも向け、瓜生貞延を将として岡城にも迫り、 城主麻生隆守[1]防戦。 利なく逃れて内浦海蔵寺に於いて家臣共に自刃する。

時、天文15年15469月27日下屋敷「端の妙」も包炎に陥り、 隆守公の母堂を始め百数十名の老若男女が悲惨な最後を遂げ、その惨状は永く語り継がれる。

麻生隆守滅亡の後、その一族清右衛門が隆守公の奥方良栄大姉を始め当時の被災者の菩提を弔うために下屋敷端の妙に持仏堂を建て出家して宗誓と称す。

これが安照寺の前身で安照庵と云い、その子孫代々意を継ぎ4世圓海の時、貞享5年16884月5日京都本願寺門主 寂如宗主より安照寺の寺號と阿弥陀仏の許を蒙り、以来浄土真宗本願寺派光雲山安照寺として開基の後、 延々16代の今日に至る。

平成10年1月1日 安照寺16世住職 麻生洋海

ひとくちメモ3 phrases

安照寺は吉木西の町にひっそりと伽藍を構えている。本堂の屋根は銅葺きである。屋根のひさし付近に設置されている金具は雪避けとのことである。 本堂裏手には庭園があり、池には鯉が泳いでいた。

この寺も戦国武将の悲話があった。

伊藤氏メモ20数年前の2鉢から始めたという花菖蒲が、現在では500鉢を超え境内を彩っている。 誰でも自由に境内に入って観覧することができる。ベンチもあり。現住職は岡城城主麻生隆盛のご子孫とのこと。現第16世。 ()

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