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金龍山() 安楽寺(あんらくじ) 浄土真宗本願寺派

歴史

筑前國続風土記拾遺』巻之35 遠賀郡 貞 山鹿村 魚町浦柳園稿の項に下記の記載がみられる。

○安楽寺

金龍山と云。 真宗西直末寺也。 明暦年中1655-1657開基。 其昔ハ神護寺と云。 真言宗なりしか、廃せしかハ玄宿といふ僧再立して一向宗と成、 正徳元年1711木佛寺号を許さる。 境内に地蔵堂有。

門前は旧唐津街道が通っていた。

ひとくちメモ

山門をくぐると、右手に白壁造りの経蔵がある。安政5年1858に寄進されたという。 作者は2009年に旧唐津街道を探索中に一度お参りしたことがある。 当時は経蔵の入口は開かれており、中の膨大な経本を拝むことができていた。 大切な文化財が痛まないかと心配していたが、現在はその入口が閉ざされている。 一安心ではあるが、簡単に拝めないのも残念な気がする。

経蔵

経蔵脇の案内板の内容をそのまま記す。

輪蔵附経蔵(りんぞうつけたりきょうぞう)

輪蔵、経蔵ともに保存は良好であるが、傳大士・脇侍は破損している。 輪蔵には鉄眼版一切経(てつがんばんいっさいきょう)2000巻あまりを収め、 総檜造りの八角形である。

この輪蔵附経蔵の寄進者である倉野儀兵衛義和(くらのぎへいよしちか)は 屋号を”吉野屋”といい、その二代目を継ぎ伊万里焼陶磁器を遠く奥州まで販売する豪商で、 安政元年1854大阪で客死[1]した。

生前、儀兵衛が寺へ布施していた一切経を嫡子義寿(画号、煌園(こうえん))が 父の志を継ぎ、その不足を補って完備し、総檜八角形の輪蔵とそれを収納する経蔵を建て、 安政5年1858安楽寺へ寄進したものである。

昭和63年9月10日 芦屋町教育委員会

脚注

関連寺院

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