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松原山() 安楽院(あんらくいん) 浄土宗

歴史

伊藤氏メモ仁和元年885に谷阿上人が初代開山して以来、1100年以上の長い歴史を持つ寺院である。現第60世。 仁治3年1242、四条天皇が御歳16歳で崩御。近侍の官女は悲嘆のあまり、菩提を弔い諸国修行天恩法事、 九州に下り、寛元4年1246安楽院に参拝し18世萬谷上人から授戒を受け、この地に6坊の草庵を結び、四条天皇の菩提を弔い供養しながら、正念往生した。6官女の結んだ草庵のうち、現存するのは、櫻之坊(櫻姫)吉木西の三福寺、及び小竹之坊(小竹姫)内浦の長源寺の2寺である。(『安楽院記念誌』より)()

観音堂には右から順に「本尊聖観音」「川西四国67番札所」「本尊 子安観音」「川西新四国第■■■■■」「岡垣四国霊場」の札が掛けられている。

参考:『筑前國續風土記付録』本堂前の案内板の内容

ひとくちメモ

安楽院は吉木の町の北の高台にひっそりと伽藍を構えている。その裏手は景勝三里松原である。 子安観音堂内の左右の大きな黒い仏像は、火災により炭化したもののようである。

伊藤氏メモ本尊の木造阿弥陀如来立像は、にぶく黒光りする歴史を感じるものである。境内の子安観音堂は川西四国第67番札所。()

本堂前の案内板の内容

安楽院(あんらくいん)

寺伝によると

「三里松原の高台、高浜の辻に最初は建立(こんりゅう)されました。

仁和(にんな)元年885 谷阿上人(こくあしょうにん)がこの地に七堂伽藍(しちどうがらん)全部を備えた 法相宗(ほっそうしゅ)の大寺を建立しました。 寺院の西に九重の塔があり、夜は灯をともし灯台の役目を果たしたそうです。 第23世繒阿上人(ぞうあしょうにん)の代に法相宗を浄土宗(じょうどしゅう)に改め興隆(こうりゅう)しました。 その後明応3年1494第28世空誉上人(くうよしょうにん)の代に阿口判官(あこうはんがん)大友義連(おおともよしつら)と戦い、 この寺にたてこもり防戦しましたが敗れました。 この時塔をはじめ伽藍すべてが兵火にかかり、旧記(きゅうき)什器(じゅうき)ことごとく灰になりました。」(岡垣町史及び寺伝より)

その後元和元年1615に再建され、さらに安永(あんえい)元年1772現在地に再建されたものです。

町指定文化財

『筑前國續風土記付録』巻之28 遠賀郡 元 吉木村

安楽院浄土宗 佛堂4間5間

松原山と號す。内浦長源寺末寺也。

(中略)

子院も六坊ありしか、兵炎にかかり塔堂ことごとく消失せり。しかれども年月を伝へす。 其後ハ久しく廃寺となりしか、寛永7年1630源誉といふ僧此所に寺にを再建し、其號を移せりといふ。 寺説に四条院御宇、官女6人下向せしか、皆此所にて死せり。 其追福に立たる寺なるゆへ、官女の名をとりて子院6坊主の號とせしとぞ。所謂5坊ハ

叉境内に地蔵堂あり。いも地蔵といふ。 もと松原村十王堂の邊にありしを、何の頃にか此所に移せり。

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