伊藤氏メモ『光林寺縁起』の要旨を下に記す。 現第13世。()
開基の教念は、秩父国畠山重忠の末裔。石山本願寺に仕えていたが、織田信長の石山攻略による顕如上人の退去とともに大阪を離れ、山口県清末に留まった。 天正(1575-1595)末期、豊臣秀吉の中国地方討伐の際に山口を退き、文禄2年(1593)現在の地に堂宇を建立して桃渓山光林寺と称した。
お寺の裏手は小高い山。 門前は住宅地となっている。 参道口はかなりわかりづらく、道も狭い。
本堂はかなりの年歴を経たもののようで昔懐かしいものを感じる。 本堂の柱には古びた竹製の表札。これもなかなか渋い。 本堂左手には方形・円形の2つの納骨堂と思しき建物がある。
このお寺の裏山には平家落人の伝説があると聞く。 今後この話は追加掲載しようと思う。
伊藤氏メモ本堂内には、親鸞聖人の一代を描いた14枚の額縁絵が飾られている。 山裾にある当寺の佇まいは古刹の趣きを醸し出している。()
『筑前國続風土記拾遺』巻之33 遠賀郡 亨 中間村の項に下記の記事がみられる。
◯光林寺
蓮華寺の内姥迫に在。 真宗西岩瀬村恩光寺の末也。 開基僧を教念と云。 寛永14年(1637)木佛寺号を許さる。
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