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妙見山() 増福院(ぞうふくいん) [山田地蔵尊・増福禅院] 曹洞宗

イベント情報(今日から2ヶ月間)

2019-10-15 伏見稲荷年例祭

歴史9 phrases

境内の案内板の内容をそのまま記す。

(前略)

由来

宗像(むなかた)大宮司家第78代雄郷[1]は天文20年15519月 主君大内義隆が長州において陶晴賢に討たれ戦死された時、 宗像には正室菊姫があったが 側室[2]の子氏貞を立てんとする者達のために翌年3月23日の夜、 山田の里において菊姫と母君4人の侍女と共に惨殺された[3]。 戦国乱世とは言え婦女子6人を一時に殺すと言うことは史上にこの例を見ない悲惨亊である。

その後6女の怨霊の呪いによりてかこの暗殺に加わった者すべて惨死する等怪異が続いたので6女の霊を慰める為に当寺を建立し六地蔵を刻み本尊として安置したので漸く異変が終わったと伝えられている。

以来星霜移ること450年信仰遠近をとわず信者の多く特に 安産、子育て、厄除、進学、家内安全、諸病平癒、交通安全、商売繁盛を願う人の参詣が絶えない。

曹洞宗(禅)妙見山 増福院

伊藤氏メモ惨劇のあった場所は、4人の侍女の墓より北側の外園と呼ばれる「山田夫人故址(こし)」の碑が立っている所だが、今は畑地になっている。 また、同院には、惨殺された菊姫遺愛の手鏡、貝合わせ一揃いが遺され、「おもひやれ訪ふ人もなき山里にかけひの水の心ぼそさは」の和歌を記した扇が伝わっている。(『九州戦国の女たち 』より)()      

     

伊藤氏メモ本堂の天井絵は嘉永4年1851に描かれた珍しいもの。(『福岡歴史百景 』より)()

増福院は白山の山裾に伽藍を構えている。その白山には宗像家の城があったという。 境内にある案内板の内容をここに記す。

ひとくちメモ3 phrases

増福院は、宗像家の城のあった白山城の麓に伽藍を構えている。 本堂裏手には急峻な杉林が聳えている。 本堂に向かって左手の石段を登ると菊姫廟がある。 墓石は長年の風雨の為か、やせ細っているものもある。

梵鐘は1514年の中国(宋)製と言われる。下部が末広がりでスカートのフリルのような 形状が特徴的である。

白山城跡には時間がなく登れなかったが次回は登ってみたい。

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